メルマガ読むならアプリが便利
アプリで開く

【死んでも書きたい話】 名誉毀損の裁判をやってみました

安田純平の死んでも書きたい話
2018年10月の帰国から3年がたちました。みなさまにはご支援、ご声援いただき改めて御礼申し上げます。 今さらながらご報告ですが、2018年10月の帰国後に書かれた3つの記事に対して名誉毀損を訴える裁判を行ってきました。 (1)私が「これまでに6回人質」になっており、「そのつど身代金が払われた」と述べ、「神経を疑います」などと書いた世界日報社のネット記事 (2)「“イスラムダンク”安田純平の謎」とのタイトルで「人質ビジネスではないかと邪推してしまいます」と書いたワック社の月刊誌「WILL」の記事 (3)「戦場で3回も人質になったジャーナリストは世界を見渡しても聞いたことがない。私の知る限り、そんな前例はない」と書いたITメディアのネット記事(係争中であり、現在も掲載されていますが の3つです。 私自身が言論を生業としてきたことから、あくまでも言論によって対応すべきと考えてきましたが、具体的な根拠も示さず、取材をした形跡すらない事実無根の主張に対して反論しようにも「そんなわけないだろ」と言う以外に反論のしようがありません。それで削除・訂正するような誠意ある相手ならそのようなデマを書くわけがなく、反論したところで反論とデマが残るだけです。 そもそもの具体的な根拠は何なのか、どのような取材をしたのかを明らかにさせるには、裁判という公の場に相手を引きずり出すしかないとの結論に至りました。提訴まで2年以上かかったのは、裁判という手段に出るべきかどうか悩んだことと、裁判で勝てるかどうかの見極めに時間がかかったことが主な要因です。 ざっくり説明すると、名誉毀損が認められるためには、その書かれた「事実」が社会的評価を低下させるものである必要があり、たとえ本人にとっては酷い虚偽であっても「社会的評価を低下させない」と裁判所がみなせば名誉毀損にはならないという判断がされます。保障されているのは「デマを書かれない権利」ではなく、あくまで「社会的評価を不当に低下されない権利」であるということです。 また、「事実の摘示」ではなく「論評」であるとみなされると厳しい判断になりがちです。さまざまな仮説を立てながら推測し、論考をする自由は広く認められるべきだからです。確たる証拠をもとにスキのない証明をしなければならないとしたら、例えば密室で行われた政治家の汚職など、立証の難しい疑惑を指摘することもできなくなってしまいます。「かもしれない」とか「とネットで言っている人たちがいる」などとぼやかされるだけでも「論評」とみなされて名誉毀損が認められない可能性があります。 たとえ裁判所が「その事実は真実ではない」とみなしても、「社会的評価を低下させない」とか「論評の範囲である」と判断すれば、提訴しても勝てない恐れがあります。そうした判断の仕組みを知ることのない世の人々は「やはり真実なのだ」と裁判所のお墨付きを得たかのようにますます拡散させます。

この続きを見るには

この記事は約 NaN 分で読めます( NaN 文字 / 画像 NaN 枚)
これはバックナンバーです
  • シェアする
まぐまぐリーダーアプリ ダウンロードはこちら
  • 安田純平の死んでも書きたい話
  • ジャーナリスト安田純平が現場で見たり聞いたりした話を書いていきます。まずは、シリアで人質にされていた3年4カ月間やその後のことを、獄中でしたためた日記などをもとに綴っていきます。
  • 550円 / 月(税込)
  • 不定期