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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第453号2021.11.9配信分
●「何だ、それは?」というのが私の正直な感想だった
臭い話をします。今からもう60年近く前のこと。当時私は川崎市立橘小学校
5年生。昭和37年(1962年)の夏だったと記憶するが、恒例となっていた林間
学校に出掛けた。おぼろげな記憶を辿ると担任は北原先生であり、宿舎は箱根
仙石原の『南甫園(なんぽうえん)』。ググッてみると、かつては栄えた温泉
旅館だったが日帰りの温泉リゾートとして復活後に今は閉館となっている。
私が試乗のメッカ箱根に足繁く通うようになった1980年代後半、この辺りの
温泉旅館は時代に取り残されて廃れ、懐かしのあのコーナーにあった南甫園は
遠い過去の記憶に沈む。今世紀に入ったあたりで、流行りの日帰り温泉として
復活していた。ことさらのようにその名を思い出したのは、鮮烈な”出来事”
の記憶がある事で「そう言えば……」と甦えったからだ。それは追って書こう。
林間学校は人生初の団体旅行であり、学年単位で寝食を共にするひととき。
時間帯は定かでないが、私は便意を催してトイレに駆け込んだ。個室は当然和
式であり、しゃがんで息んだ。すっきりして見下ろすと不思議な光景を目にし
た。何故か便器にほやほやのうんこの塊が残っている。
そう言えば、白い陶器には排泄物がストンと落ちて行く穴が見当たらず、金
隠し側前方に水を湛えた不思議な構造となっていた。
私は物心付いてから成人するまでずっと川崎中部で育った。庭付き約50坪の
戸建て木造平屋の市営住宅は、後に川崎市が払い下げを約束したと聞いている。
流入人口の急増に伴い反故にされたという話は余談だが、昭和30年代初頭の下
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