メルマガ読むならアプリが便利
アプリで開く

第256回「人を好きになる、という本能」

メイド喫茶元オーナーが教えるサブカル恋愛塾
  • 2021/11/28
    • シェアする
僕は、生来、性癖がストレートであるので、 同性が性的に好き!とか、自分の性に馴染めない。 というふうな、つまり、ゲイの人については、 生理的に受け付けないし、性的に好きにはなれません。 若い頃、新宿二丁目に住んでいるコピーライターの 先輩がいて、結構、可愛がってもらっていたのですが、 先輩がよく飲みに連れて行ってくれる二丁目のゲイバーが 実は苦手で、ゲイの従業員が作ってくれた水割りを 口にすること事態が、気持ち悪くて、嫌だったのを 思い出します。 でもね、誤解をしてほしくないのは、僕は、生理的に ゲイの人が苦手、っていうことなんで、これはあくまで、 個人の性癖の問題なんで、そのゲイの人たちの存在まで、 否定しようとか、そんなふうには思っていない、 ということです。 その人が、同性が好き、っていう趣味を持っているのなら、 それはそれで尊重するし、そういう人は、同じ性癖の人々の間で、 楽しく、心穏やかに生きていければいいんじゃないか、 とか思う訳です。 その昔、キリスト教圏の国では、同性愛自体が、 神の教えに背く大罪である、ということで、犯罪として、 獄に繋がれる、という弾圧があった、ということでした。 日本では、戦国時代とか僧侶の間で、お稚児さんという、 少年愛というかショタ愛というか、BL的性習慣があったみたいで、 キリスト教圏よりも、同性愛に関しては、偏見はなかった みたいですけど、まあ、世界的に、「同性愛は反社会的なもので 処罰すべきである」みたいな見方が多かったみたいですね。 若い頃から、男女の恋愛や交際を厳しく制限しているイスラム教、 なんてものは、そういう環境からしても、同性愛的な性癖は 芽生えやすいものなのではないか、とか思えるのですが、

この続きを見るには

この記事は約 NaN 分で読めます( NaN 文字 / 画像 NaN 枚)
これはバックナンバーです
  • シェアする
まぐまぐリーダーアプリ ダウンロードはこちら
  • 550円 / 月(税込)
  • 毎月 第2日曜日・第4日曜日