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佐々木俊尚の未来地図レポート 2021.12.13 Vol.683
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【今週のコンテンツ】
特集
「不快なもの」をなぜ社会から除外してはならないのか
〜〜悪影響も好影響もあらゆるものは影響し合っている
未来地図キュレーション
佐々木俊尚からひとこと
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■特集
「不快なもの」をなぜ社会から除外してはならないのか
〜〜悪影響も好影響もあらゆるものは影響し合っている
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社会は、それぞれの人にとって不快なものであふれています。静かな旅行を楽しみたい人は、コロナ禍だというのに新幹線で大騒ぎするウェーイなパーティピープルを不快だと思うし、ウェーイな人は無口で積極的な意思表示をしないオタクな人を「なんだこいつ気持ち悪いな」と不快に思うかもしれません。小生意気な若い女の言動を不快に思う中高年の男性もいれば、「オジサン臭い」と中高年男性を不快に思う若い女性もいる。みんながみんなを不快に思っているのです。
そういう不快が社会にはたくさんある。近代になって都市に人口が集中するようになり、他人を不快に思う機会は農村の時代からくらべればずいぶん増えたのだと思います。さらにはインターネットが普及して、不快なものを「目にしてしまう」機会はずいぶんと増えました。それでも2000年代半ばごろまで、検索エンジンとポータルサイトぐらいしか情報にリーチする方法がなかったころはまだ良かった。ネットの情報はすべてプル(自ら引っ張ってくるもの)であり、わざわざ探しに行かなければ目にすることもなかったのです。
ところがツイッターやフェイスブックのようなSNSが普及すると、プッシュ(向こうからこちらにやってくるもの)の情報が大幅に増えました。見たくなくても、自分のタイムラインに勝手に流れてきてしまうようになったのです。
振り返って見ると、ネット以前の1990年代までの世界では、大多数の人が毎日のように目にするテレビや新聞が「プル」でした。しかし新聞やテレビは公的なメディアとして不快なものはなるべくフィルタリングされていたので、不快感が大きく表明されることはありませんでした。とはいえ(これは後述しますが)テレビは黎明期には非常に混沌とした泥水のような世界で、面白いけれども不快なコンテンツがたくさんありました。
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