メルマガ読むならアプリが便利
アプリで開く

【Vol.409】冷泉彰彦のプリンストン通信『国境閉鎖とコロナ後への備え』

冷泉彰彦のプリンストン通信
「ショパンの後に乱闘?背景には「ぼっち」鑑賞カルチャー?」  12月14日にサントリーホールで行われた読売日本交響楽団のクラシッ クコンサートで、終演直後に客同士の乱闘騒ぎがあったようで、話題になっ ています。場所が、P席、つまりステージ後方で起きたために、終演後のカ ーテンコールの際に、大勢の観客から丸見えの中で「不祥事」が進行したと いうのですから、呆れた話です。  出血したとの情報もあるのですが、主催者側は警察は呼ばなかったようで、 「鑑賞マナーを順守していただくよう呼び掛けていく」というコメントが出 ています。報道によれば「当事者は仲直りした」ようであり、怪我について は「絆創膏で治療した」というのですから、子どもの喧嘩のようなものだっ たのかもしれません。  この事件ですが、どうも日本のクラシック界隈では、生演奏のコンサート 空間というのは演奏者と観客が一緒に作る「場」だという理解が薄くなって いる、この問題が背景にあるようです。  どういうことかというと、ヘッドホンで聴く音楽より、高い金を払った生 演奏は「より本物」であり、「より高度な感動的経験」であるべき、とまあ ここまでは間違いではありません。ですが一部の観客の中には「だから、絶 対的なノイズレスの経験」がしたい、従って「他の客の出すノイズは敵」と いう感覚があるようなのです。  クラシックの音楽の場合には、拍手のマナーというのがあり、 「祝祭的なセッティングで祝祭的な曲がジャーンという強奏で終わる場合に は、音が鳴っているうちに大拍手になっても盛り上がるので結構」 「本当に凄い演奏の場合は、ブラボー屋さんといって、演劇の「大向こう」 のような人が「ブラボー」とか「オー」とやって拍手がそれに続くのもアリ」  というような習慣があるのですが、21世紀に入ってからの日本ではこの 2つの習慣は消滅しました。「ジャーン」と終わっても、必ず静寂の数秒を 入れてその上で拍手に行かないと、クレームになるからだそうです。  生演奏の醍醐味というのは、いい観客と奏者が一体となってその場を共有 し、ある意味でのコミュニケーションが成り立つような感覚にあります。例 えば歌舞伎の場合は、本当に凄い演技の場合は、息を呑むような雰囲気が舞 台前の最前列から後ろに「ジワジワ」と伝わるような「ジワ」というのがあ って、私も大和屋さんの「鷺娘」で経験して鳥肌が立った記憶があります。  クラシックの場合もそういうことがあって良いので、例えば70年代の前 半に、ポリーニが初来日してシューマンの「交響的練習曲」だったと思いま すが、新宿の今はない厚生年金会館で観客がバンザイしてしまったというエ ピソードもあります。その場に私はいませんでしたが、いた人の話ではその ぐらいのリアクションをしないと収まらないような演奏だったそうです。  この「バンザイ」というのは、正直非常に特殊であって、あまり勧められ ませんが、とにかくクラシックのコンサートのことを「ヘッドホン鑑賞」の 延長に考えるような「ぼっち鑑賞」のカルチャーがあり、わずかなノイズも 許せないという人があり、その一方で、マナーを全く理解していない人がい たりというのは、悲しむべきことと思います。  勿論、今回の事件については詳細が不明なので、あくまで推測でお話しし ていますが、この「ぼっち鑑賞カルチャー」と「マナー知らず」という問題 は、こうなったら音楽家の皆さんが丁寧に聴衆への啓蒙をやっていただくし かなさそうです。

この続きを見るには

この記事は約 NaN 分で読めます( NaN 文字 / 画像 NaN 枚)
これはバックナンバーです
  • シェアする
まぐまぐリーダーアプリ ダウンロードはこちら
  • 冷泉彰彦のプリンストン通信
  • アメリカ北東部のプリンストンからの「定点観測」です。テーマは2つ、 「アメリカでの文脈」をお伝えする。 「日本を少し離れて」見つめる。 この2つを内に秘めながら、政治経済からエンタメ、スポーツ、コミュニケーション論まで多角的な情報をお届けします。 定点観測を名乗る以上、できるだけブレのないディスカッションを続けていきたいと考えます。そのためにも、私に質問のある方はメルマガに記載のアドレスにご返信ください。メルマガ内公開でお答えしてゆきます。但し、必ずしも全ての質問に答えられるわけではありませんのでご了承ください。
  • 880円 / 月(税込)
  • 毎月 第1火曜日・第2火曜日・第3火曜日・第4火曜日