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高野孟のTHE JOURNAL Vol.530 2021.12.27
※毎週月曜日発行
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《目次》
【1】《INSIDER No.1131》
鴨川の山中で「半農半電脳記者生活」15年の回顧と展望
《その3》/次の世代へ
【2】《CONFAB No.531》
閑中忙話(12月19日~25日)
【3】《FLASH No.441》
自衛隊基地を視察…「台湾有事」にあおられ沖縄の島の
要塞化が着々と進む/日刊ゲンダイ12月23日付「永田町
の裏を読む」から転載
【4】《SHASIN No.460》
■■ INSIDER No.1131 2021/12/27 ■■■■■■■■■
鴨川の山中で「半農半電脳記者生活」15年の回顧と展望
《その3》/次の世代へ
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本連載《その1》で、鴨川自然王国の収穫祭のメイ
ン・イベントとして県知事や市長も参加する村興しにつ
いてのシンポジウムが開かれ、それを企画し司会したの
が「小さな地球プロジェクト」代表を務める林良樹であ
ると述べた。
故・藤本敏夫と私は昭和19年早生まれ、加藤登紀子は
それより1カ月早い18年12月生まれで、学年は皆同じ。
団塊世代は昭和22~24年生まれを言うので、それより少
し上ではあるが、彼らと共に同じ時代の空気を吸って激
動の青春を送った。藤本と共に大地を守る会を作った藤
田和芳(現オイシックス・ラ・大地会長)や、藤本に影
響されて「ふるさと回帰支援センター」を創設した高橋
公(現同センター理事長)は昭和22年生まれである。こ
の世代が「団塊帰農」という流れを生み出して、それを
次の世代に引き継がせようとした時に、目に着いたのは
当時30歳代前半から20歳代後半の青年たちで、藤本が死
の直前に『現代農業増刊』の「青年帰農」特集で「21世
紀型ライフスタイル『農的生活』を築こう」と呼び掛け
たのは彼らに向かってだった。
その頃30歳±5だった若者が今は50歳±5で、林や、
加藤登紀子の次女の半農半歌手のヤエ、夫のミツヲたち
である。
●スマイル・レボリューション
林は、千葉県木更津市の酒問屋の4代目に生まれた
が、家業を継ぐことを拒んで東京でのフーテン暮らしか
ら世界放浪の旅へと転々とした挙句、1999年、31歳の時
に鴨川市北釜沼の一角に残された荒れ果てた古民家を手
に入れて移住する。最初は「オウムじゃないか」と疑い
の目で見られながらも、その25軒ほどの集落の長老たち
に見込まれて、次第に同集落の棚田クラブや炭焼き小屋
の運営を任されるようになると共に、鴨川自然王国のス
タッフ(後には理事)としても活動するようになった。
その頃までの彼の歩んだ人生や自然王国並びに加藤登
紀子らとの出会いについては、加藤と林の共著『スマイ
ル・レボリューション/3・11から持続可能な地域社会
へ』(白水社、11年刊)に詳しい。この書を言わば置き
土産にして彼は自然王国の実務スタッフを離れ、自身の
釜沼北集落での活動に専念するようになる。
まずは長老たちが始めた棚田クラブの運営で、これは
元はと言えば大山千枚田保存会の立ち上げにも参加して
いた長老たちが、それとは別に自集落のミニ棚田7枚約
2500平米を活用して独自に20数組を募集して07年に開設
した。私共も、それまでは自然王国の会員として田植
え・稲刈りの活動を行っていたが、釜沼北のいずれも80
歳を超えた長老4人組の人柄に惚れてそちらに参加する
ようになった。しかし彼らも4年前から引退し、現在は
林やその仲間たちが切り回すようになっている。それに
伴い、釜沼北で田植え・稲刈りを楽しむグループも、無
印良品鴨川棚田トラスト、「天水棚田で作る自然酒の
会」、千葉大学国際教養学部の実習など次々に広がり、
その分だけ荒れた棚田が蘇生されることになった。
●無印良品の南房総での展開
無印良品で知られる(株)良品計画が鴨川に来るように
なったのは、林が里山保全の話で講師に呼ばれてどこか
へ行った際に、たまたま同社の企画担当と出会って意気
投合したことからだった。この会社が凄いのは即断即決
の機動力で、すぐに同社の金井政明会長以下の幹部が車
を連ねてやってきて、たちまち同社の顧客会員に呼びか
けて鴨川棚田トラストが始まることになった。
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