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【Vol.416】冷泉彰彦のプリンストン通信『揺れるスポティファイ』

冷泉彰彦のプリンストン通信
「石原慎太郎氏、10の謎」  石原慎太郎氏が亡くなりました。Newsweekには、3つの「謎」として、 1)初期作品の虚無的な作風、とりわけ女性の尊厳への冒涜(書きませんで したが、精神障害者への冒涜もひどいです)をした作品が受け入れられた理 由。 2)国政での敗北の理由、とりわけ中川派継承の失敗と、地方政治での連続 当選の理由。 3)同じ右派ポピュリズムでも、維新は「小さな政府」で石原は「大きな政 府」だという違いの理由。  を指摘しました。これに加えて、更に4つの点を追加したいと思います。 4)アメリカで石原氏といえば、やはり「NOと言える日本」(1989 年)の印象が強いようです。この本ですが、どうも成立が奇妙です。確かに 石原氏は威勢よくアメリカを批判しているのですが、共著者の盛田昭夫さん (当時ソニー会長)の提言の方が遥かに本質的で、クオリティも格段に違う のです。  盛田氏の提言は実に立派であり、アメリカの経営と日本の経営を比較した 部分、そして日本と日本企業がより国際的な責任を全うすべきという厳しい メッセージにあふれた内容となっています。今となっては虚しいですが、仮 に盛田氏のメッセージの半分でも実現できていたら、日本経済はここまでの 衰退はしなかったかもしれません、そのぐらい優れた内容です。  一方で、石原氏の書いた部分は、現在のネトウヨ水準とあまり変わらない わけで、流石に石原氏の頭脳と文学者としての才能からすれば、その「差」 はハッキリしていたわけで、並べてみると盛田さんの素晴らしさばかりが目 立つ内容となっています。どうしてそんな企画を石原氏がOKしたのか、こ れは今でも謎です。  もしかしたら日本の読者のクオリティを「なめ切って」いたのかもしれず、 また実際にこの本の読者の平均的なレベルは「なめられても」仕方がないも のだったのかもしれません。仮にそうだとしたら、以降の石原氏の「国士」 パフォーマンスも、計算づくの無責任なものということもできそうです。 5)石原氏は、2001年9月11日、アメリカのニューヨークと、ワシン トン郊外のペンタゴン(国防総省)、そしてペンシルベニアでの旅客機墜落 という「911同時多発テロ」の際に、ワシントンDCに出張していました。 当時の石原氏は都知事一期目の中間ということで、年齢も68歳と働き盛り でした。  東京都は被災地ニューヨークとは姉妹都市協定を結んでいます。その姉妹 都市が攻撃されたのですから、DCからNYに急行して当時のジュリアーニ 市長などを激励することもできたのですが、彼はそれをしませんでした。政 治的にはいい機会だと思うのですが、何もせずにホテルに篭り、サッサと帰 国したのです。どうしてそのような行動になったのか、これは「謎」です。  更なる攻撃が本当に怖くて隠れていた説、アメリカが攻撃されたのは「ザ マミロ」と思っていたという説、反対に動きたかったが、格好いいパフォー マンスをやって再び国政を「かき回す」ようだと困るので、清和会政権(当 時は小泉)筋からDCの大使館に手が回って監禁されていたという説、大き く分けて3つありますが、本人の死とともに永遠の謎になってしまいました。 (続く)

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  • アメリカ北東部のプリンストンからの「定点観測」です。テーマは2つ、 「アメリカでの文脈」をお伝えする。 「日本を少し離れて」見つめる。 この2つを内に秘めながら、政治経済からエンタメ、スポーツ、コミュニケーション論まで多角的な情報をお届けします。 定点観測を名乗る以上、できるだけブレのないディスカッションを続けていきたいと考えます。そのためにも、私に質問のある方はメルマガに記載のアドレスにご返信ください。メルマガ内公開でお答えしてゆきます。但し、必ずしも全ての質問に答えられるわけではありませんのでご了承ください。
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