■自己肯定感ハラスメント
「自己を肯定する」といえば聞こえがいい。だが、そのせいで「肯定
しなければならない」「否定はダメなのだ」という概念に支配されて
しまうとしたら問題だ。
本来は「自己のすべてを受け入れて、自分らしく生きよう」という意
味かもしれないが、そのせいで肯定するために比較したり、ポジティ
ブなことを探したり、いい意味付けをしなければならなくなっている。
その典型的な言葉が「自己肯定感を高めるために成功体験を積め」と
いうものだ。そもそも肯定感だから、高めたり上げたりしなければな
らない。根幹には、高低の概念が存在しているのだ。
自己肯定感を高めるために、まず「それは高いのか、低いのか」「そ
れは肯定するに値するものなのか」などを判断するために、周りや社
会と比較し続けなければならなくなるのだ。
★
自己肯定感の妄想が激しくなれば、ハラスメントやいじめ、誹謗中傷
やヘイト主義さえ生み出す。「自己を肯定しよう」という考えは、他
者への否定によって満たされるというリスクがあるからだ。
肯定至上主義は、強者と弱者、メジャーとマイナー、正義と不義など
の対立構造を生み出す。上司がパワハラをするのは、自分の肯定感を
維持したり、高めたりするために、地位への肯定感がそうさせるのだ。
強者は弱者を支配して、メジャーはマイナーを乗っ取ることで、正義
は不義を否定して、自己肯定感を満たそうとする。その執着が、否定
の世の中を生み、自己劣等感を多々生み出しているのだ。
★
いつまでも満たされない承認欲求、他者依存による不安定な自己肯定
感、無理な自己顕示欲といったアリ地獄から抜け出す考えこそが、
「自己存在感」だ。
自己存在に目を向ける考えは、他者に依存する必要がない。他者に承
認してもらうことに頼る必要もない。自分を大きく見せるよう自己顕
示する必要もない。
自分の「今ある」を見つけて、それをエネルギーの源泉として生きて
いけるからだ。自分の「ある」を見つけるのは簡単だ。すでに「あ
る」からだ。それを評価して肯定や価値を作り出す必要はない。
難しく思えるのは、今まで認知的に進化・教育されてきたからだ。何
事も外界に向けて脳が働くのだ。そのため「自分の内面に“ある”を
見つめる脳力」が低下しているのだ。
だから、視点を変えることだ。少し変えるだけで、誰でもできるよう
になる。自分探しの旅などに出かける必要はない。「ないもの探し」
でなく「あるもの見つけ」をすればいいのだ。
★
まず自分の“ある”を見てみることだ。自分の“ある”を見て、知っ
て、感じて生きれば、心も人生も豊かになってくるはずだ。人は、命
のまわりに様々なものを身にまとって生きるようになる。
まず名前、苗字、性別、肌の色、顔立ち、生まれた時の体重、生まれ
た家の環境、その後の教育、性格、容姿、学歴、収入、職業などだ。
これらは皆、評価や肯定・否定の対象になる。
自分の身に着けている、自分の外にあるものを全部肯定することはで
きない。だから「肯定」という認知的視点を離れる。そして「存在」
という誰でもが持つ視点で自分見るべきだ。
「自分を見る」とは「自分さえ良ければいい」という自己中心的なも
のではない。自分を大事にすることだ。自分を見つめ、知ることだ。
そうすれば、自分の存在に気づき、自己存在感の芽が育まれる。
認知脳の暴走から離れて、自分らしく自己存在感に従って、自然体に
生きることだ。そのためには「ありのまま」の自分を受け入れること
だ。これこそが非認知的な思考なのだ。
そして自分を信じることだ。評価など一切せず、ただ自分を信じるの
だ。それが自己存在感を生み出して、自分の心を整えることになり、
結果が出る確率を高めるのだ。
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