メールマガジンをご覧の皆様こんにちは、こんばんは。
先日ツイッターでのやり取りでふと最初の自主製作アルバムを制作した頃の思い出がよぎったので、備忘録として(といってもほぼ忘れてしまっている気がしますが)メルマガに残しておこうと思い、今回は帰国して自主製作アルバムを作る事に至った経緯と制作から発売までの事を書こうと思います。
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、僕は早々に渡米してMIハリウッドという音楽学校にほとんど英語もしゃべれないまま、とりえず送ったデモテープのクオリティの評価が高かったため「GX1」というジャズフュージョンのトップクラスに入れられてしまい非常に苦労しました。
なんせジャズもフュージョンも全く知らない徹頭徹尾メタルバンド上がりでしたので(笑)、何となしに真似しながら着いていく日々を送ったのですが、今となってはあの頃のお陰でハードロックに留まらないプレイが出来るようになっていると思います。
しかし今のご時世の様では信じられない隠された人種差別問題はロック業界にも横行していてアジア人でハードロックバンドに加入する事はとても困難で、まぁ少年ナイフとかの女性バンドは売れてはいましたがとてもマニアックなコアなマーケットでしたしそこは「女性」という特別な目線もあったと思います・・
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