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高野孟のTHE JOURNAL Vol.546 2022.4.25
※毎週月曜日発行
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《目次》
【1】《INSIDER No.1152》
沖縄の「復帰50年」をどう迎えるべきなのか・その1
ーーヤマト世、アメリカ世。次のウチナー世はどこに?
【2】《FLASH No.449》
「勉強会」を立ち上げたところで…菅前首相に出番が来
ないワケ/日刊ゲンダイ4月20日付「永田町の裏を読
む」から転載
■■ INSIDER No.1152 2022/04/25 ■■■■■■■■■
沖縄の「復帰50年」をどう迎えるべきなのか・その1
ーーヤマト世、アメリカ世。次のウチナー世はどこに?
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東アジア共同体研究所の琉球・沖縄センターでは現在
「沖縄の復帰50年」を振り返るためのブックレットを制
作中で、以下に紹介するのは、そこに高野が執筆する巻
頭文の一部である。本来は、5月15日の50周年当日に間
に合うよう発刊する計画であったが、私が50日間の入院
を余儀なくされるという思いもかけぬ事態があって大幅
に執筆が遅れ、まだ半分か3分の1程度しか進んでいな
い。が、私の体調次第にしているとさらに遅延する危険
があるので、草案が出来上がったところから本誌で順次
公開し、関係者や読者の吟味を受けながら完成を急ぐこ
とにするので、よろしくご協力を。
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「沖縄復帰から50年」という大きな節目を迎え、誰しも
がそれぞれの立場から、胸に手を当て呼吸を整えて「こ
れで本当によかったのか?」と自らに問いかけるべき2
022年という年である。
もちろんどんな世論調査でも、単純に「復帰してよか
ったか」と問えば、7~8割の人が「よかった」と答え
るに決まっていて、米軍占領が続いたほうがよかったと
いう人は、よほどの事情がある人か、ひねくれ者かのど
ちらかで、数%にとどまるだろう。問われるべきは復帰
そのものというよりも、その中身ーーそれぞれは一体ど
んな夢や希望をそこに託し、あるいは不安や杞憂を引き
ずりながら復帰を迎え、それから50年を経た今になって
みるとその収支決算はどうなったのか、ということであ
る。
とはいえ、復帰当時15歳だった人が今は65歳。沖縄県
の人口147万人のうち65歳以上は14%にすぎず、この
50年を俯瞰して語ることのできる年代の人々はそう多く
はない。「復帰っ子」と呼ばれる今が働き盛りの50歳前
後の人々は、物心ついた頃にはすでに「ヤマト世(ゆ
ー)」だったわけだから、またまったく別の感じ方にな
るのだろう。他方、本土の人々の中にも、沖縄に何らか
の思いや関わりを持って生きてきた人たちもいて、私も
その端くれだが、そこにもそれぞれなりの50年がある。
そういうさまざまな50年が百花斉放、にぎやかに噴き
出してくるのかと思いきや、どうもそうではなく、それ
は、肝心の辺野古基地建設問題が泥沼のような膠着状態
に陥る一方、台湾・尖閣有事が声高に叫ばれて自衛隊の
先島進出が本格化するなど、時代の空気が重苦しく沈ん
でいるからだろうか。そういう否定的な面も含めて、こ
ういう復帰で本当によかったのか、もっと別の道筋はな
かったのか、議論のきっかけとなるせめてさざ波でもい
いから起こせないか、というのが本書を敢えて世に問う
企図である。
●「復帰」と「返還」の違い
しかしこの問いかけは、初めの一行目からして早くも
難題に突き当たる。
いま冒頭に何気なく「復帰」と書いたが、実はここか
らしてすでに迷ってしまい、沖縄県庁が「復帰50年」と
銘打って記念事業などに取り組んでいるので、「まあ、
いいか」と、とりあえずそれに従うことにしたまでであ
る。ところが「復帰」はふつう沖縄の人々が使う言葉
で、本土の人々はたいてい「返還」と言う。「復」の字
には「ふたたび」という意味と「かえる」という意味が
含まれており、それにさらに「帰」を重ねることで「帰
るんだ!」という沖縄人の強い気持ちを表してるのだろ
う。いずれにせよ復帰の主語は、沖縄あるいは沖縄人で
ある。
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