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佐々木俊尚の未来地図レポート 2022.5.23 Vol.705
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【今週のコンテンツ】
特集
ステレオタイプと紋切り型に陥ったマスコミが「当事者性」を取り戻すには
〜〜沢木耕太郎さんの1980年代「ニュージャーナリズム」論から考える
未来地図キュレーション
佐々木俊尚からひとこと
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■特集
ステレオタイプと紋切り型に陥ったマスコミが「当事者性」を取り戻すには
〜〜沢木耕太郎さんの1980年代「ニュージャーナリズム」論から考える
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「ジャーナリズム」「マスコミ」などのことばが、信頼を失ってしまってから長い年月が流れています。
近年のメディア史を振り返って考えてみると、マスコミの失墜はゼロ年代なかばに始まったのではないかとわたしは捉えています。この時期にブログのサービスが普及し、多くの専門家がブログで発信して大手メディアの記事の誤りを指摘するようになりました。また事件事故の現場からのレポートを、記者やカメラマンではない一般の人たちが発信するようになり、「そもそも報道とは何か」が議論されるようになります。
2008年、秋葉原連続殺傷事件が起きました。このときに現場にいた人たちがデジカメやガラケーで写真撮影し、それをネットに投稿したことが議論になります。おもにマスコミの側から「野次馬根性で一般市民が現場写真を投稿していいのか」という批判が巻き起こったのです。
しかし新聞社やテレビ局は「社会の公器」を標榜しているとはいえ、単なる民間企業です。当時のブロガーや、今で言えばユーチューバーが現場のレポートを配信することと何が違うのかを明確に線引きすることはできないでしょう。14年前のこの当時、わたしはとあるメディアの連載記事でこう書いています。
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