LA TO JAPAN
幼少のころ、私が住んでいた家の近くには米軍基地があり、両親もアメリカ人の友人との付き合いがあった。
そのためか、父は俗にいう「アメリカ被れ」であり、洋楽・洋画にしか興味のない青年だったようで、
ハーレー・ダビットソンを好み、レイバンのサングラス、マルボーロの煙草に、リーゼントヘアーだった。
父の運転する車の助手席に乗せられ聞かされていたラジオは、わけのわからない英語の曲ばかり。
私にとっては昔も今も「親」なのだが、まだまだ私が幼かった頃は、30代、40代。
今や、後期高齢者となった両親だが、男と女である以上、いろんな青春があったんだろうと最近想像するようになった。
コロナのお陰で日本の両親とは3年ほど会っていない。
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