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橘川流、運命の人の射止め方・言葉とは一瞬ごとの思い出など

橘川幸夫の時代分析と質問箱
【橘川流、運命の人の射止め方】 最近弟子になった松井勇人が、これまた最近うちから小説を出した青海エイミーと対談していた。 https://youtu.be/HApzMJaTrXQ なにやら「僕は運命の人以外、絶対に手を出さない」などと言い、エイミーの友人たちから「可愛い」などと言われ調子に乗っているようだが、松井は恋が何たるかをまったく分かっていない。47にもなって仕方のない奴だ。 だから今回は、俺がどう運命の人を口説いたか。そんな話をさせて貰おうと思う。 國學院の貧乏学生だった時代、俺はよく新宿ゴールデン街に出入りし、先輩らにご馳走になっていた。 70年から75年にかけて、ゴールデン街はある種の絶頂期だった。三分の一は暴力バー、三分の一はオカマバー、残りの三分の一が安くていい店である。 「もっさん」「小茶」が俺の入口だったが、一番の拠点は「淵」。マスターの岩淵秀樹は日大全共闘のメンバーで、当時、爆弾事件の容疑者として逮捕されていた。留守をカズエさんという、大らかだが芯のある女性がやっていた。 淵は二階にあって、階下は「ラジャ」というオカマバー。ラジャからセーラー服を何十着も持ち込み、来た客全員に着せたり、全員でキスをしたり、めちゃくちゃをしたものだ。俺たちはセーラー服のまま、他の店に出かけて行ったりした。 『八月の濡れた砂』で名脇役を務めた山谷初男とは、酒場でよく会った。通称「ハッポン」。 俺の方はハッポンを知っているけれど、向こうの方は、勿論俺のことなんか知らない。 だが、俺はヤツにこう言わせたことがある。 新宿の雑踏で、たまたまハッポンと遭遇したときのことだ。俺は、いつものようにヤツにニコッと微笑みかけた。もちろんその時はセーラー服を着ていないから、それなりの仕草である。 ハッポンは立ち止まって、こう言った。 「僕は、君の名前を覚えてない」 「だけど、君の眼は覚えているよ」 「・・・」 「・・・男を口説くということは、こういうことか・・・」 あのとき俺には、それが分かった。 他の店では、役者の常田富士男からこう言われた。 「キミは、僕の、初恋の人に似ているんだ。。。」 俺は酒が弱く、ウィスキー三杯で酩酊してしまう。だから、彼らに何を話したかとか、どんな風に接したかとかは一切覚えていない。 セーラー服を着るというのは面白いものだ。いつの間にか、鏡の中に自分の理想の女性が映っている。 嘘だと思ったなら、今なら「VRチャット」で女性のアバターをつくってみて欲しい。見た目も仕草も理想の女性になっているはずだ。世界はいま女装で溢れている。

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  • 「ロッキング・オン」「ポンプ」など1970年代から参加型メディア一筋の活動家としてメディアの渦中で生きてきました。その体験と実感からの視点で、さまざまな事件や現象について、自分なりの視点で分析していきたいと思います。また、読者の皆様からの質問にもお答えします。一緒に、新しい社会のあり方を模索していきたいと思いますので、よろしくお願いします。
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