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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第482号2022.6.28配信分
●身体で生きていることを考えさせるクルマと人の関係……
※ 明日7月4日入院します。昨日義務づけされているPCR検査
を受け、陽性の場合は連絡するが陰性は音沙汰なしとのこと。今日
携帯がブルッとなることがなく、予定通りことが運ぶことになりま
した。翌々日手術の段取りで、退院は術後2週間後ぐらいだろうと
説明を受けています。
ここまでの経緯を一言で述べるなら「運が良かった」ということ
に尽きると思う。振り返ってみれば私は運の良さだけでここまで来
た実感がある。
またぞろで恐縮だが、高校時分は3年の3学期までグラウンドに
居座りサッカー小僧に明け暮れていた。元々入学当初は小柄で(小
学高学年は後ろから何番という背丈だったが中学で伸び悩み前から
5番以内)、帰宅部を決め込まざるを得なかったが、2学期前の夏
休みにそれこそ一日何mmの勢いで伸びた。
短期間で150mmほど高くなり、昔は成長を見込んでタップリ目の
制服を用意するのがあたり前だったが、瞬く間にツンツルテンとな
った。伸びた背丈に比例してやる気が出て、1年間かけて先行して
いた同級生に追いつき追い越した。あの頃は夏場の暑い盛りでも水
は飲むな式が罷り通り、今では誰もやらないウサギ飛びを強い、同
僚を肩車してスクワットするなんて荒技に明け暮れた。
良い悪いで言えば完全にアウトだが、後年振り返るとあの時の鍛
練が巧まずして身体的能力を高めた気がする。私のモーターレーシ
ング歴は1975~78年。23歳のデビューは遅きに失した観があるが、
足掛け4年にわたって粗食に耐えながら曲がりなりにも続けられた
のはこの時の基礎体力に負うところが大だと思う。
今にして思えば、モーターレーシングがスポーツとしてかなり特
殊な競技であり、求められる身体的能力はトップアスリートの域に
あることが分かっている。自動車という高価で技術の塊が目につく
『ツール』が前面に出る競技の特質から、それを操る者(ドライバ
ー)の存在感は軽く見られがちだ。
一般認識としては、普段のドライビングの延長線上でしかなく、
ドライバーの存在(能力)は過小評価されやすい。もちろんレーシ
ングドライブは公道上の走りとは異なる。一般道の走りはどんなに
頑張ってもレーシングトラック(サーキット)の70~80%が精々で
(WRCクラスのラリードライブは話が別だ)、パイロットという
呼び方もされるF1ドライバーは超一流のアスリート並の身体能力
がなければ務まらない。
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