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佐々木俊尚の未来地図レポート 2022.7.11 Vol.712
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【今週のコンテンツ】
特集
「理想的な夫婦」「素晴らしい結婚」は現代における抑圧である
〜〜〜〜「20世紀の神話」は今こそ終わらせるとき(第11回)
未来地図キュレーション
佐々木俊尚からひとこと
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■特集
「理想的な夫婦」「素晴らしい結婚」は現代における抑圧である
〜〜〜〜「20世紀の神話」は今こそ終わらせるとき(第11回)
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加藤和彦と安井かずみという著名なカップルが「理想的な夫婦」と言われていた時代がありました。1970年代の終わりごろのことです。
ミュージシャンの加藤和彦は1947年うまれの団塊の世代。ザ・フォーク・クルセダーズでデビューし、70年代にサディスティック・ミカ・バンドを結成しました。「タイムマシンにおねがい」などいま聴いてもまったく古くない名曲を送り出し、70年代から80年代にかけて最先端の音楽シーンをつくりあげた人でした。
8歳年上の安井かずみは昭和後期を代表する作詞家のひとりで、アグネス・チャン「草原の輝き」や沢田研二「危険なふたり」竹内まりや「不思議なピーチパイ」郷ひろみ「よろしく哀愁」など今も歌い継がれている膨大な数の流行歌を手がけています。
同時に安井かずみは、ジェンダー平等の意識などかけらもなくまだ抑圧の強かった昭和の時代に、気ままに生きた女性でもありました。1939年うまれの彼女は、20代だった1960年代にはニューヨークやヨーロッパを遊んで回り(戦後に海外旅行が自由化されたのは1964年のことです)、文京区の伝説的な川口アパートメントに住み、加賀まりこやコシノジュンコと交流し、自由奔放な生活を楽しんでいたのです。当時、唯一無比のイタリアンレストランとして有名だった飯倉片町のキャンティの常連でもありました。
安井かずみは「どこまでも自由で、あくまで奔放で、危なく、アンニュイな魅力に溢れた女」と言われていました。その彼女は1977年、加藤和彦と再婚します。人気絶頂の作詞家とミュージシャンが結婚したとあって「日本一カッコいいカップル」とメディアで呼ばれました。
メディアでは幸せな結婚だと報じられていましたが、しかし内実はそうではなかったということが2013年に刊行された『安井かずみがいた時代』(島崎今日子著)というノンフィクションで明らかにされています。生前の彼女を知る26人の証言をもとにした取材力の光る評伝なのですが、読んでいくと本当に痛ましい。
★「安井かずみがいた時代」
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この本によると、夫婦の生活は実に「劇場」的なものでした。夕食はかならず着替えをして夫婦でテーブルを囲み、年に2度は長い休暇を海外ですごす。安井かずみはもともと素朴なインテリアが好きでリビングには白木のテーブルを老いていたのですが、結婚後はココ・シャネルの家に置かれているような派手なテーブルに変わり、身にまとうコートも高級ブランドのエルメスになったとか。
そして以前からの親友たちとはだんだんと疎遠になり、夫を中心に人生がまわっていくようになります。夫婦だけの閉じた関係へと落ち込んでいったのです。その関係は、加藤さんの不倫をきっかけに均衡を崩しはじめます。『安井かずみがいた時代』はこう記しています。
「愛して欲しいと願った瞬間、人は自由を手放すのである。ただ一人の男が他の女に気持ちを移した瞬間に、二人のパワー・バランスは完全に逆転し、あの自由奔放な人でさえ自我を折り、夫の顔色をうかがいはじめて萎縮していったのだ」
彼女と親しい友人の編集者矢島祥子さんもこの本で語っています。
「完璧な夫婦を演じるのは、大変だったでしょう。安井さんに加藤さんと別れるという選択肢があれば、もっと違う人生があったのではと思います。でも、きっと無理だったんですよね」
あまりにも「完璧な夫婦」を演じようとしすぎて、抑圧に転じてしまったということなのでしょう。それでも結婚生活は続きましたが、安井さんは1980年代末に肺がんを発病。1994年に55歳で亡くなりました。
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