今回は、前回の前編にひきつづき、入魂の「ジョルダーノ・ブルーノ、普遍生命論、そして生きた粒子」の中篇をお送りします。全部で三編の構成となります。
2. ステウコ、プラトンの謎、そしてアナクサゴラス
すでに幾人かの専門家が指摘しているが、ウンブリアの町グッビオ出身のアゴスティーノ・ステウコ(Agostino Steuco, 1497/8-1548)による『永遠哲学について』がブルーノの典拠のひとつだった。とくに聖書の解釈だけではなく、世界霊魂とキリスト教徒の聖霊の同一視をするうえでの典拠だという。
いうまでもなく、この同一視は、世界霊魂とその身体を結ぶのに必要とされる「世界精気」spiritus mundi についてのフィチーノの理論をもとに打ちだされている。その同じフィチーノの足跡を追って、ステウコはヘルメス・トリメスギストスとそのほかの異教の賢者たちによって信奉されたという「古代神学」prisca theologia とキリスト教を調和させようとした。
そのために彼は世界霊魂にくり返し言及し、なかでもヘルメスやプロティノスといった「古代神学者」たちにしたがって、聖霊とその源泉である「神的な知性」についての章で世界霊魂をあつかっている。したがって、まずは問題の章から簡単にみていこう。
ステウコはプラトンに帰される『第二書簡』で表明される「謎」から議論をはじめる。それによると、すべてはすべての王のまわりを巡り、第二線の事物は第二原理のまわりを巡り、第三線の事物は第三原理のまわりを巡るという。ステウコによれば、プラトンは古代神学者たちの正統な後継者として彼らの叡智を継承したという。
また彼は、アレクサンドリアの教父キュリロス(Cyril of Alexandria, c. 376-444)が『ユリアノス反駁』で報告しているポルピュリオスによる解釈にも言及している。おそらくステウコはキュリロスの報告を、ベッサリオン枢機卿(Bessarion, 1403/8-1472)の『プラトンの攻撃者への反駁』(ローマ、1469年)あるいは、フランチェスコ・ゾルツィ(Francesco Zorzi, 1466-1540)の『世界の調和について』(ヴェネツィア、1525年)に見出したのだろう。
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