「小松成美の伝え方の教科書 ノンフィクション作家に学ぶコミュニケーション術」
vol.31「一流のインタビューから学ぶ、唯一無二の宮崎駿哲学」
【今週の目次】
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1. 成美のつぶやき
└変わりつつある甲子園
└甲子園は女子がグランドに立ち入りできない!?
└女子部員と甲子園の歴史
└高野連会長の野球への愛情
2. 一流のインタビューから学ぶ、唯一無二の宮崎駿哲学
└戦後77年と共にあった宮崎駿作品
└プロデューサー鈴木敏夫さんから突然の嬉しい依頼
└鈴木敏夫さんは、なぜ小松成美に執筆を依頼したのか?
└宮崎監督から放たれた衝撃の言葉
└「宮崎駿」の生き様を見た瞬間
└「宮崎駿」を書くときは〇〇のとき
└今も心に届く宮崎監督からのメッセージ
3.小松成美の質問コーナー
4.お知らせ
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1. 成美のつぶやき
変わりつつある甲子園
二十四節気では立秋を迎えましたが、残暑が続いています。
灼熱の甲子園では、8月6日から熱闘が開幕しました。感染者を増やし続けている新型コロナウィルス。そんな中でも、日本中の野球ファンが待ち焦がれた第104回全国高校野球選手権大会は無事スタートを切ったのです。
2020年は夏の甲子園が中止になり、たくさんの選手や大会関係者たちが涙を飲みましたので、無事開催に至ったことに高校野球の応援者としては、胸を撫で下ろしていました。
そして、今回の甲子園では大きな転換期となる出来事がありました。今大会から女子部員がユニフォームを着てグラウンドに出て「ボールパーソン(審判にボールを渡す役目)」を務めることができることになりました。
さらに、これまで男子部員だけに許されていた試合前のシートノックの際に監督やコーチにボールを渡すなどの練習補助役も、女子部員が認められています。毎日のゲームの中では、試合開始前のシートノックで監督やコーチに女子部員がボールを渡す姿が見られることでしょう。
甲子園は女子がグランドに立ち入りできない!?
甲子園のフィールド。
これまで女子の立ち入りが禁止されてきた場所です。オリンピック競技などではほとんど性の差別や区別がなく競技が行われ、対等に戦えるようになっています。しかし、野球においてはまだ格差があり、特に甲子園においては厳格に女子の参加を許されない状態が続いていました。
マネージャーという形で野球部に所属する女子部員たちも大勢いますが、ユニフォーム着用も、グランドへの立ち入りも許されませんでした。
甲子園と女子。
その歩みは、一般社会と比較すればあまりに遅い、と言えるかもしれません。けれど、ついに扉は開かれたのです。
甲子園大会で女性が初めてグランドに立ったのは、1991年第65回選抜高校野球大会のことでした。当時の森山真弓文部大臣が女性初の始球式を務めました。1995年の第77回全国高校野球選手権大会では、福岡県代表の柳川高校野球部の責任者として女性教師がベンチ入りを果たします。
さらにその翌年の1996年、第78回全国高校野球選手権大会からは、初めて「記録員」として女子マネージャーがベンチに入ることが許可されたのです。
しかし、ここからが本当に大変でした。
グラウンドは甲子園球児たちの聖域でもあり、女子部員が関わることが本当にことごとく規制されていたのです。その理由は、「ゲームで用いられる硬球が危険だから」というものでした。
女子部員と甲子園の歴史
2016年の夏の甲子園では、ある事件がありました。
2年ぶり甲子園に出場となった大分県代表の大分高校が試合前の練習を行う際、野球部のユニフォームを着た女子マネージャーが、ノックのボール渡し役を務めていました。10分ほど過ぎた頃、女子がグランドに立っていることに気がついた大会職員が、女子マネージャーにグランドからの退場を命じたのです。
大きな注目を集め騒ぎになった結果、この時の大分高校・広瀬茂野球部長は、
「一生懸命頑張ってきたので、グラウンドに立たせたかった。グラウンドにはユニホームでしか入れないことは知っていたが、ユニホームでのボール渡し係であれば可能と勘違いしていた。申し訳ありませんでした」
と、謝罪しました。
“女子部員はノックの補助役も許されない”
大会関係者は「危険防止のための規定なので」とストップをかけた理由を説明したものの、このことがニュースで流れると、ネットは騒然となりました。
「女子だからと言って、何が問題なのか」
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