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渡辺勝幸の日本一元気になるメールマガジン
第4347号 令和4年8月9日(火)発行
発行部数 11,534 部
【仕事師内閣、独り人事構想を練る
ー中曽根康弘その27ー私の履歴書 保守政権の担い手】
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【仕事師内閣、独り人事構想を練る
ー中曽根康弘その27ー私の履歴書 保守政権の担い手】
昭和の偉人たちが何を考え、失敗にどう対処し、
それをいかに乗り越え、どんな成功を収めたのか、
日本経済新聞に掲載されている、
自伝コラム「私の履歴書」から
探ってみたいと思います。
保守政権の担い手であった昭和時代の政治家を中心に分析。
歴史から未来をつくっていきたいと思います。
『保守政権の担い手―私の履歴書』
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中曽根は行革推進に土光敏夫とともに尽力したのでした。
そして昭和57年11月27日、中曽根は内閣総理大臣に就任、
「はるけくもきつるものかな萩の原」
の句を残します。
国会議員になって35年、派閥を率いて15年でした。
カラっ風の吹く上州から、材木屋のせがれが歯を食いしばり、
風雨にうたれながらたどりついた「萩の原」。
10月12日、鈴木首相が突然、退陣を表明したのでした。
当時、鈴木の総裁再選は確実とみられていました。
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