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INSTITUTE OF SUCCESS TECHNOLOGY JAPAN 第711 AUG 14 2022発行 “明日死ぬかのように生きよ、永遠に生きるかのように学べ!” >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> ※ 出典を明白にしていただければ、転送・引用は自由にどうぞ >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> ◇ 黒木安馬 未発表原稿を掲載 「地球見聞録 限定話のネタ本」  毎週「日曜」 月刊4回発行 有料 \300/月 配信メルマガ  購読登録は⇒ http://premium.mag2.com/mmf/P0/00/76/P0007692.html ☆*:..☆。O○☆○o。..:*゜*:..。o○☆○o。..:*゜*o○☆○o。*゜* ━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━ 明日死ぬかのように生きよ、永遠に生きるかのように学べ! マハトマ・ガンジー ━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━ 黒木安馬の著作(*^_^*)v~♪ 【雲の上で出会った超一流の仕事の言葉】 あさ出版 ¥1.540 【国際線30年で観た成幸者たちの法則】産経新聞グループ¥1.650を、 ⇒ 「黒木安馬署名&相手様の宛名を書入れ」て、1.500円 (@_@;)! 送料無料で郵送いたしますので、kuroki.yasuma@gmail.com へご連絡ください! FAX 0475-54-3479 ☆*:..☆。O○☆○o。..:*゜*:..。o○☆○o。..:*゜*o○☆○o。*゜* ⇒  令和の意味:中西進先生から ⇒ 「初春令月、気淑風和」 大宰府長官・大伴旅人 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━ ⇒  石鹸を使わない洗濯の時代 江戸時代にクリーニング屋があった、と言えば驚くかもしれないが、1600年の関が原の後、1690年刊行の書物の中に、「洗濁(せんだく)」業が成立していたことが伺える。 その「洗濁」図の解説に、 「よろず洗い物一切の汚れ、染み落とすに、硝石・石灰さまざまの薬力をもって洗い落とす・・・」とある。 しかも、そこで石鹸を使ったとは、どこにも書いてない。 石鹸は、1600年代の江戸時代以前、織田信長の貿易時代には、南蛮人が持ち込んで日本に入ってきた。 中国からの伝えでは、「灰汁を、麦粉をもって固めたもの」である。 1613年に日本に来たイギリス人ジョン・サリスは、日本で売れる商品のひとつとして「エスパーニャ石鹸」の名を、ロンドンの東インド商会宛に手紙で送っている。 江戸時代の蘭学者の間では、その製法も見よう見まねで知り始め、消毒効果のある薬用に使っていた者もすでにいた。 オランダ商館日記のなかの輸入品目の中には、石鹸の名前もあるとこから察して、すでにその頃には作られていたことは確かである。 石鹸が庶民の間で使われるようになったのは、相当あとになった明治になってから。 その明治初期ですら、まだ洗濯には灰汁(あく)を使い、化粧用には米糠(ぬか)を使っているものがほとんどだったとある。 糠袋を持って風呂に入り、垢摺りの布で洗えば、結構綺麗になったとある。 大正になっても、娘たちは澱粉などの混ぜ物の多い石鹸で足を洗い、顔は糠で洗っていた。 卵の白身で髪を潤し、椿油は宝物だった。 石鹸の「鹸」とは、灰汁やアルカリを意味する。 SOAPの語源は、古代ローマで、丘の上で生け贄の羊を焼いた「サポーの丘」から来た。 古代人が肉を焼く時に滴り落ちた脂肪と灰が混じって、それに雨水がかかって固まり、石鹸が発見されたのではないかと言うのが自然である。 紀元前2800年のバビロンの記録にも残っているから、歴史は古い。 サポーは、ソープの語源となるが、日本と往来のあったポルトガルでは石鹸は「シャボン」。 それが、シャボン玉になる。 因みに、シャボン玉を飛ばす管のストローは、本来は麦わらのことである。 穴が開いているのを活用したのがストロー。

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