INSTITUTE OF SUCCESS TECHNOLOGY JAPAN 第711 AUG 14 2022発行
“明日死ぬかのように生きよ、永遠に生きるかのように学べ!”
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明日死ぬかのように生きよ、永遠に生きるかのように学べ! マハトマ・ガンジー
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⇒ 石鹸を使わない洗濯の時代
江戸時代にクリーニング屋があった、と言えば驚くかもしれないが、1600年の関が原の後、1690年刊行の書物の中に、「洗濁(せんだく)」業が成立していたことが伺える。
その「洗濁」図の解説に、
「よろず洗い物一切の汚れ、染み落とすに、硝石・石灰さまざまの薬力をもって洗い落とす・・・」とある。
しかも、そこで石鹸を使ったとは、どこにも書いてない。
石鹸は、1600年代の江戸時代以前、織田信長の貿易時代には、南蛮人が持ち込んで日本に入ってきた。
中国からの伝えでは、「灰汁を、麦粉をもって固めたもの」である。
1613年に日本に来たイギリス人ジョン・サリスは、日本で売れる商品のひとつとして「エスパーニャ石鹸」の名を、ロンドンの東インド商会宛に手紙で送っている。
江戸時代の蘭学者の間では、その製法も見よう見まねで知り始め、消毒効果のある薬用に使っていた者もすでにいた。
オランダ商館日記のなかの輸入品目の中には、石鹸の名前もあるとこから察して、すでにその頃には作られていたことは確かである。
石鹸が庶民の間で使われるようになったのは、相当あとになった明治になってから。
その明治初期ですら、まだ洗濯には灰汁(あく)を使い、化粧用には米糠(ぬか)を使っているものがほとんどだったとある。
糠袋を持って風呂に入り、垢摺りの布で洗えば、結構綺麗になったとある。
大正になっても、娘たちは澱粉などの混ぜ物の多い石鹸で足を洗い、顔は糠で洗っていた。
卵の白身で髪を潤し、椿油は宝物だった。
石鹸の「鹸」とは、灰汁やアルカリを意味する。
SOAPの語源は、古代ローマで、丘の上で生け贄の羊を焼いた「サポーの丘」から来た。
古代人が肉を焼く時に滴り落ちた脂肪と灰が混じって、それに雨水がかかって固まり、石鹸が発見されたのではないかと言うのが自然である。
紀元前2800年のバビロンの記録にも残っているから、歴史は古い。
サポーは、ソープの語源となるが、日本と往来のあったポルトガルでは石鹸は「シャボン」。
それが、シャボン玉になる。
因みに、シャボン玉を飛ばす管のストローは、本来は麦わらのことである。
穴が開いているのを活用したのがストロー。
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