今をダメにする百人の構図
●十三「個性的」な人
個性とは何か?となると今の僕なんかの思考水準ではとても手におえそうもない。
個人というものが社会の諸関係の総体だとすると、個性など成立する余地がないように思える。
でも、生まれたての赤ん坊にだって、持って生れた性質というのがそれぞれ備わっている。
例えば人間の顔がそれぞれ違う、なんて事は社会の諸関係とは無関係に思える。
それでは人間の顔がそれぞれ違うように人間の考え方もそれぞれ違う、というのが個性なのか。
ふむ、これはなんとか解決がつきそうだ。人間の顔と(い)うものが先天的な特質だとすると
人間の表情というのは後天的なものだ。後天的なもの、つまり社会の諸関係に規定されたものである。
それと同じように思考にも顔的なものと表情的なものがあるという事だろう。
つまり「素材」と「表現」の違いだ。この辺を簡単にとり違えて、最初っから人間は誰でも個性的である、
と宣伝しているのが、いわゆる「個性化の時代」というやつである。
例えば「おれはおまえじゃな〜い」なんて無自覚な声をあげてる宣伝を聞くと何故か無性に腹が立つ。
あほめ、おまえはおまえですらないよ、って言いたくなる。企業の消費者に対する、おもねりもいやらしいが、
そんな事にうかうかのせられて、いい気になってる人もどうかと思う。街をみても個性の人なんてどこにもいない。
いるのは、いかにも個性的であるという商品をまとった人達だ。つまり企業の戦略は個性化ではなく、個性のグループ化だ。
わかるでしょう、個性なんて前提的なものではないし、ましてや人から一方的に与えられるものじゃない。
あなたの選んだ商品の中にあなたの自発性が入ってなければ意味がないって。
さて、突き詰められた個性は遂に全体性へ向かう、という事はこれまでの社会的な運動を見れば分る。
恐らく、これまでの人間の起した戦争の本質的な原因は人間内部の観念的運動の性急な帰結だったのかも知れない。
それが戦争へと結びついたのは、この地球上にはまだ個人と呼ばれるものが存在しなかったからだろう。
ある時はヒットラーであり、ある時は自由の旗であったり……みんな、自分を語るのに他人の言葉を借りてきていたのだ。
お題目とかスローガンというのはそこに至るプロセスを他者にゆだねる事だ。……今は、個性という言葉は、むしろ全体性
へ向かわないためのポール&チェーンの役割をしているように見える。
(これとて何か大切なものを省略している、という意味で細分化された宗教だ)しかし、僕は個性について考えると、
必ず全体性・普遍性へと突き抜けてしまう。最近は毎晩のようにだ!僕は危険なのか。危険なら今すぐ殺してくれ。
なあんちゃって。
●十四 透明人間
みなさん、透明人間、というタイトルだけで、これから僕が何を言おうとするか分りますか?
ROを長年読んできた人なら、テーマとかタイトルを見ただけで、もう、そのライターが何を言いたいか分るでしょう。
僕もそう思って、いっその事このシリーズは、タイトルだけを百まで並べて終りにしようと思った。
だけどよく考えたら、別にそんな事しなくたって、ROをよく読んできた人は、僕がどういうテーマをあげるか、
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