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渡辺勝幸の日本一元気になるメールマガジン
第4368号 令和4年8月30日(火)発行
発行部数 11,517 部
【サミットの指導者たち
ー中曽根康弘その29ー私の履歴書 保守政権の担い手】
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【サミットの指導者たち
ー中曽根康弘その29ー私の履歴書 保守政権の担い手】
昭和の偉人たちが何を考え、失敗にどう対処し、
それをいかに乗り越え、どんな成功を収めたのか、
日本経済新聞に掲載されている、
自伝コラム「私の履歴書」から
探ってみたいと思います。
保守政権の担い手であった昭和時代の政治家を中心に分析。
歴史から未来をつくっていきたいと思います。
『保守政権の担い手―私の履歴書』
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中曽根は、レーガン大統領と個人的な関係を構築、
この時からいわゆる「ロン・ヤス関係」が始まったのでした。
そして昭和58年のウィリアムズバーグ・サミットの際、
記念撮影で中曽根が真ん中のレーガン大統領の隣で
カメラに納まったことが話題となりました。
これは意図して中央に立ったわけではなかったのでした。
中曽根が会場に到着した時、
ホスト国の米国は「軍艦マーチ」で迎えました。
ところが日本の一部のジャーナリズムが
「その曲は軍国主義の行進曲だ」と批判したため、
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