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【死んでも書きたい話】 ほとんど神のように政府を信じる日本人的宗教感覚について

安田純平の死んでも書きたい話
前回、神道の話をしました。なぜ私が神道に関心を持っているかというと、 一、これまで外国で信教について聞かれたときに、自分の感覚を適切に表現できなかったから 二、イスラム圏を取材するうえでイスラム教の勉強をするように、日本について知ろうと思うなら日本の宗教を知っておくべきだから 三、神道系の政治勢力が影響力を強めている印象があり、そもそも神道とは何なのか、彼らはどういう理屈で政治に結びつけているのかを知る必要がある といった理由になります。 私自身が信じている特定の宗教は何もありませんが、アラブのイスラム教徒などから「お前の宗教はなにか」と聞かれて「何もない」というと無神論者ということになって異教徒以上に面倒なことになるので、「仏教」とテキトーに答えるようにしてきました。 実際には仏教徒といえるような仏教の知識も仏教的な習慣もほとんどなく、神道についてもそれは同じであり、しかし何かやったらバチが当たるということはありそうな気がするし、自分なりの神観念のようなものは持っている気がしています。 ちなみに日本には「天道思想」という宗教感覚もあります。たとえば今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公は北条義時ですが、後鳥羽上皇との争いである承久の乱に先立ち、躊躇する義時に対し、大江広元は「運を天道に任せて、早く軍を京に送るべきです」と進言しています。いずれ大河ドラマでも描かれるはずですが、神道的には天皇は神の子孫であり、絶対的な存在のはずですが、「おてんとさま」という別の感覚で解決できてしまうという話です。 「なんとか教」という一見分かりやすい表現で説明できない宗教的な感覚が日本一般にあり、それは現代にも続いていて、日本社会のいろいろな可能性や問題の背景になっていると私は感じています。 たとえば、2015年にイスラム国に後藤健二さんと湯川遥菜さんが殺されたときは、救出しなかった日本政府の対応を7割の国民が支持しました。しかし私が解放された祭に「身代金払った」「政府が救出した」との情報が流れると、ほとんどのメディアがそれをそのまま流し、私の感覚では大半の日本人はそれを信じました。 真逆の対応であっても政府を信じ、指示するのです。実際の事実はどうであったかの続報はいっさいありません。「政府が何をやっているのか、どのような判断があったのか、国民に分かるわけがない」という認識であり、それに疑問を抱くこともなくそのまま受け入れているのです。ほとんどこれは宗教です。 「神の意志を人間ごときが理解できるわけがなく、人間はただ神を信じれば良いのである」というイスラム教徒のような宗教感覚に非常に近いものを、ただの人間がやっているにすぎない政府に向けているのです。 この日本社会にある宗教的な感覚が何なのかを理解することは、日本社会を見ていくうえで重要だと思っています。 というわけで、これからも神道などの話をすることがあると思います。よろしくお願いいたします。 今回は日記の2016年6月1-9日です。 【2016年6月1日(水曜日】 ついに6月。奴らは1年なんて区切りは全く気にしないだろう。また2カ月以上ねばるか。となると断食月ラマダン後までかかる。熱くて眠ることもできなくなる。 13:00すぎ、虐待野郎。「茶をくれ。熱いの」と言うと「イエス」と言うが、部屋を見渡し「なぜ掃除しないのか」。 「どうやってやれってんだ」 「なんで言わない!」 全て「ノー」のくせに。「茶をくれ」と改めて言うと「ノー」。狂ってる。メシは昨日の残りご飯ではなくひよこ豆ペーストのホンモスだからまだいいが。 NHK、「Tokyo Eye」は谷中ビアホール。谷中ジンジャービールなど。

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  • ジャーナリスト安田純平が現場で見たり聞いたりした話を書いていきます。まずは、シリアで人質にされていた3年4カ月間やその後のことを、獄中でしたためた日記などをもとに綴っていきます。
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