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[中川八洋メルマガ]地球から消滅する日本、2035年(3)

筑波大学名誉教授 中川八洋メールマガジン
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||| 筑波大学名誉教授 中川八洋メールマガジン 令和4年9月26日 通巻第18号 地球から消滅する日本、2035年(3) ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||| 日本“亡国”は確度百%。ならば、満洲帝国“亡国時”の阿鼻叫喚の地獄絵を繰り返すな!──国防力の大増強/共産党非合法化/社会保障制度の全廃とともに、北海道を米国第五十一番目の州とし、中共「支那人」を留学生や就業者を含め一人残らず完全一掃しよう 「日本に来てから、夏という季節の見方が変わった。蝉の声、入道雲、風鈴の音、噎せ返るような蒸し暑さ、夏の夕暮れ、蚊取り線香の香り、蜩の声。フランスにいた時は、《夏=楽しいもの》としか見ていなかったのに、日本の夏は何故か涙が出る。この独特な風情に飲み込まれそうになる時があります」(Bebechan、2022年9月15日twitter)。 この美しい散文詩のtwitterに接した時、私の脳裏には二つの事が浮かんだ。第一に、大正時代の駐日フランス大使ポール・クローデルを真っ先に思い出した。クローデルの『朝日の中の黒い鳥』(講談社学術文庫)ほか、クローデルが残した邦文論文には“神秘”性が漂い、何度読んでも胸を打つ。尚、この本のタイトル「朝日」は「旭日の日本」を指し、「黒い鳥」は発音が似ている「クローデル」自身を指す。 もう一つは、私が中学二年生から高校一年生だった1958~60年の頃、公道で赤旗を立てて署名活動やビラを配っている共産党の汚い格好の怖いオバサン/オジサンに向かって、口角泡を飛ばして論争している背広姿の普通の日本人が口にしていた内容がふと蘇えった。例えば、 「どうして、そんなに日本の悪口を言うのか。自分の国を罵るなんて、あんた、日本人なのか」。 「これほど美しい四季の日本に生れたのを有難く思うのが、正しい日本人だ」。 「シベリアやサハラ砂漠の近傍で生れた人々でも祖国を愛している。緑と水と美しい国土に産まれた日本人は祖先に感謝しても、日本を罵るようなことは何一つないはずだ」。 「・・・・・」。 このような素朴な愛国心の吐露は、思えば1984年以降、かれこれ四十年ほど全く聞いたことが無かった。また、恥ずかしいことを曝すが、このような1960年代までの一般庶民の保守的思考は、私の脳裏からも消えていた。この意味で、今般、フランス人Bebechan氏には心から感謝したい。 確かに、俳句はむろん、徒然草/枕草子/源氏物語/万葉集などの日本文学は、日本列島を奥深く包む、明快に変化するが毎年同じな四季や風土・風物なしには存在しえない。祖国愛とは日本列島“愛”であり、また日本の伝統的な生活慣習“愛”とも不可分の関係にある。今からでも遅くはない、これから仮にも日本が生存を続けたいのであれば、Bebechan氏のような本物の日本人を、この日本列島に満ち溢れさせることが必須であろう。 第一節 新生児数170万人が無ければ、日本の未来はブチャ/イジューム/ウィグル 1990年、「1.57ショック」で国論として「出生率を2.08に戻そう」が澎湃として起きた時、日本で、これに呼応した大学教授は、(私の知る限り)私のほかは友人の勝田吉太郎ぐらいしかいなかった。私にとって、この情況の方が「1.57」より大変なショックだった。この1990年の情況はまた、日本人の絶対多数が日本国存続への責任意識をレッドライン越えで衰退・委縮させてしまっている、その端的な証左だからだ。 むろん、今よりまだましで、専門家とは言えない人々のも含め、「出生率2.08回復」の本が数冊出版された。それでも、その後、北朝鮮人の福島瑞穂『産まない選択』などが洪水のように出版される、日本民族絶滅と日本国消滅を煽動する悪書の怒涛の勢いに、これら良識ある本は流され、日本は1995年代頃には、日本国亡国と日本民族の絶滅が無意識のコンセンサスとなった。歯ぎしりしたのは私一人でなかったが、孤立無援の「出生率2.08に戻そう」運動は撃破され消えた。 1990年は、ある意味で、ほんの僅かであれ、日本に通常の健全な日本人が一定数いたので、その意味では、“日本らしさ”が香っていた最後の年だった。1991年末のソ連邦崩壊以降の日本からは、子孫に責任を持とうとする日本人が完全に消えた。1993年2月25日だったか、初めて福田恒存氏から「どうしても君に会いたい」との電話をもらって、ホテル・オークラに夕方駆け付けたが、たった一言「日本は滅ぶよ」を遺言として私に伝えるためだった(面談時間僅か五分間、翌年11月、福田氏は死没)。 1992年元旦に開始された全国の新聞・テレビのいっせい「政治改革」煽動キャンペーンは、世界の脱・共産体制に逆行しての、「日本を共産化しよう」の共産革命洗脳キャンペーンであった。四文字「政治改革」に潜めた日本国潰しの怖さと危険を警告する私に賛成してくれたのは、俵孝太郎氏のみであった。よって、彼との共著の対談本を出した。が、蟷螂之斧だった。“日本を共産化しよう!”の別表現「政治改革」に対し、「反対!」の声が無い異常さこそ、日本国滅亡への狂騒なのに、そう感じたのは私のほかは福田恒存氏ひとりだけだったようだ。

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  • 残虐に殺戮された“満州1945年”は過去ではない。二十年後に到来する一億日本人が阿鼻叫喚とのたうつ“日本列島2045年”の現実。縄文・弥生時代を含め父祖の墓が眠る日本列島に運命の生を授かったわれら日本国民は、民族の子孫に「盤石なる国防力」「潤沢なる黒字財政」「年250万人新生児数となる伝統的な家族制度」を残す世襲の義務を果さなければならない。「安泰な日本国領土」を子孫に相続すべく、敵国ロシアに奪われた樺太・北方領土・千島諸島の奪還は、我らは万が一にも逃避できない。 憂国の正しき日本国民よ、日本は、国家死滅の坂道を転がってもはや瀕死。が、諦念せず、国家再生に命も名誉も財産も捨てようではないか。
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