▼▽▼ Vol.411
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佐高信の筆刀両断~死もまた社会奉仕~
2022/10/7
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◆目次
1・筆刀両断 死もまた社会奉仕
2・会えなかった人(37) 「国境の町」の作曲家、阿部武雄
3・雑記
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1・筆刀両断 死もまた社会奉仕
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統一教会との関係が共に深いという意味で「友人」だった菅義偉が
安倍晋三の「国葬」で弔辞を読み、
その中で安倍が読んでいたという岡義武著『山県有朋』(岩波新書)に触れたことで、
この本が品切れ状態らしい。
しかし、とびついた人はもちろん、安倍も菅も、
藩閥政治の親玉である山県が死んだ時に
石橋湛山が次のように痛烈に批判したことなど知らないのだろう。
拙著『平民宰相 原敬伝説』(角川学芸出版)にも書いたが、
長州閥の総大将として陸軍を牛耳った山県は、東京は目白の椿山荘をはじめ、
大磯に小淘庵、京都には無隣庵、小田原に古稀庵、小石川に新々亭、
麹町に新椿山荘と幾つもの別荘をもった老害のドンだった。
原敬にとっては最大の身内の敵とも言えたのである。
その山県が亡くなった時、湛山は1922年2月11日号の『東洋経済新報』にこう書いた。
「山県有朋公は、去る1日、85歳で、亡くなられた。
先に大隈侯を喪い、今また公を送る。
維新の元勲のかくて次第に去り行くは、寂しくも感ぜられる。
しかし先日大隈侯逝去の場合にも述べたが如く世の中は新陳代謝だ。
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