2022年 第 40号
【長尾和宏の「痛くない死に方」】
長尾和宏です。すっかり秋めいてきましたね。
今僕は、奈良に来ています。日本ホスピス・在宅ケア研究会の全国大会に出席する
ためです。
尼崎と奈良は近所? いや違う。大和路快速に乗って1時間以上。仕事が立て込ん
でいたため、奈良泊はあきらめて、2日連日往復しています。
秋の行楽シーズンで、大和路快速はとても混んでいます。そこに、日本中の在宅医
のスターたちが勢ぞろいしている。久しぶりに会う、全国の同士たち。
いや、この2年半、リモートの会議では何度も顔を合わせていたよ。でもやっぱり
FACE TO FACE で会えることの喜びを噛みしめている。
はしやまクリニックの梁先生は、ユマニチュードについてお話をする。
我が日本尊厳死協会、佐賀の満岡先生は、ACPについてお話する。
お坊さんでもある和歌山医科大学の大下先生は、瞑想療法についてお話する。
エンドオブ・ライフケア協会の小澤先生は、ユニバーサル・ホスピスマインドのお話。
そして二ノ坂クリニックの二ノ坂先生は戦争とホスピスについてという深いテーマ。
その合間に、我が劇団ザイタクの何度も上映延期となった「ピンピンコロリなんて
無理なん知っとう」の芝居の上映会もあって、これが思いのほか大うけだった。
すごくうれしい。行ってよかった。
我が国のホスピスケアマインドの歴史は奈良の光明皇后にある。大仏建立をした聖武天皇
の奥様だった御方だ。光明皇后は、聖武天皇同様に仏教に深く帰依しながら
貧しい人たちを救う悲田院(ひでんいん)と病の人たちを救う施薬院(せやくいん)を
造った。「法華寺」には光明皇后が作らせたといわれている浴室(からふろ)のレプリカ
がる。
以下、法華寺のHPにある説明から:
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「からふろ」とは今でいうサウナのこと。現在の建物は明和3年(1766)に再建されました。
内部には竈や風呂屋形(やかた)があり、薬草を用いて蒸し風呂を焚くようになっています。
昭和初期まで夏と冬に使われていました。
からふろは、掛け湯や取り湯形式ではなく蒸し風呂形式であること、また尼僧ではなく庶民
のための風呂であったことの2点で、他の寺院の風呂とは大きく異なります。
古代寺院の風呂は僧侶が沐浴潔斎する為に使用されていました。
しかし、からふろは「我自ら千人の垢を去らん」という光明皇后のご発願に由来し、
庶民に開かれた福祉施設の原点ともいえるものでした。
今でも6月に施浴体験が行われます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
光明皇后自ら、このからふろで病に苦しんだ人たちのお風呂のお世話をしたという。
こんな場所でコロナ明けにこの学会ができたのは幸せなことである。
どんなにITが進んだところで、生身と生身の人間が対面で言葉を交わし合い笑顔
を見せ合う喜びを凌駕することはできないはずだ。
特に、在宅ホスピスなんて、顔と顔を突き合わせてナンボの世界。
だけどドクターたちはまだ、皆さんマスクを外せないでいる。それが残念でならない。
外していたのは、僕だけである。でも誰からもお咎めはなし。当たり前である。
この記事は約
NaN 分で読めます(
NaN 文字 / 画像
NaN
枚)