◇ 気分は気分気分は気分 30代以上のための解説
●気分が時代のキーワードになってから久しい。10年ほどまえ、それまで世の中を支えてきた古い価値観が至るところで崩れはじめた。人々は信じる対象を失い、信じる方法を失った。そんな時、崩壊した価値観のガレキの上を、まるで風のように、気分が吹き抜けていった。気分は空気。状況の中にあなたが入っていくと空気が揺れる。気分は揺れて動いた風の道筋。
●モノ(ハード)を買う時代から気分(ソフト)を買う時代へ。モノとは古い価値観そのもの。気分とはモノが創り出した空間。つまり人は〈鞄〉というモノを舞うのではない。そのかばんが創り出している情緒的環境(ふんいき)を買うのである。だから、より情報量多いブランド物とか流行物が注目されるわけだ。単純なブランド信仰はアホらしいが、単純なブランド信仰批判もバカらしい。
●「ポパイ」は70年代を象徴する雑誌で、気分というのもその辺から流れてきたんだけど、あの雑誌の読者が「モノにこだわる」といった場合に、それは30才以上の人間が考えるような所有欲とは全然違う。モノにこだわるのは気分にこだわるからであって、モノそのものには驚くほど固執してない。60年代に聴いたジャニス・ジョプリンのレコードとか埴谷雄高の本をまだ持ってる世代と、聞かなくなったらさっさと中古レコード屋に売っ払ってしまったり、貸しレコードでホイホイ借りまくる世代との資質の差だ。
●具体的なモノそのものには固執しない。気分とは瞬間的な価値。デジタルな意味。思想のTPO。モノと私との間ある距離、その関係性の中に気分がある。そしてモノも私も絶えず変化いていくものだから、気分は固定的な価値観とはなり得ない。本書でも例えば「公園」というモノは昼と夜では気分がまるっきり違う、という意見が多かったし、あるいは一枚の質問用紙をある人が昼と夜でやってみたら、全然違う回答になってしまった、という話も送られてきた。
●気分は〈生きて〉いるのだ。生理としての思想、といっても良い。気分の方法論が本格的に身につくと、世の中、もっと柔軟になるだろう。
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