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「偽パラケルスス文書」

BHのココロ
  • 2022/11/02
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今回は、2022年10月7日から12日までのルーマニア遠征のメイン・イヴェントである「プリンストン・ブカレスト ・セミナー」の一環として開催された国際会議「初期近代のレシピと実験」で発表した偽パラケルスス文書についての原稿を邦訳したものをお届けします。 「偽パラケルスス文書」 ・はじめに  初期近代の科学や哲学を研究する歴史家たちの眼前には、ほとんど手つかずの状態で膨大な分量のテクストが眠っている。それらの幾つかは錬金術と化学を恣意的にわけない知の伝統である「キミア」や医学だけではなく、宇宙論や人間論、神学の分野で16世紀末から17世紀にかけて非常に人気があり、影響力を誇っていた。 あつかわれるテーマの幾つかは、自然界への高度な働きかけに顕著であり、アリストテレスの哲学にもとづいた伝統的な大学教育で定式化していた自然と人為の境界を超越するものもある。そこでは普遍医薬や人工生命を獲得する可能性が示唆され、精神面だけではなく肉体面にも作用する想像力の驚異的な威力が語られる。これらの話題は当然のように激しい論争をまき起こし、フランシス・ベイコン(Francis Bacon, 1561-1626)といった先駆的な人々の関心を引いた。  しかしこれらのテクストは、真面目な歴史研究でほとんど無視されてきた。錬金術やそれに関連する主題についての研究を馬鹿にしていた古い世代の人々がもっていた発展史観によるのかもしれない。またこれらのテクストは、非常に複合的で多彩な内容からもあつかいが難しいことから軽視されてきた。そうしたテクスト群が医学者パラケルスス(Paracelsus, 1493/94-1541)の名前のもとにつくられた偽作文書なのだ。  このスイス人医師をめぐる偽作の作成は、初期近代において隆盛をきわめた彼の自然哲学と医学の伝搬にとって切っても切れない関係にある。それらの幾つかは完全な偽作であり、ほかの幾つかはパラケルススの正真の断片から再構成されたものだろう。幾つかのテクストは非常に短く、断片的であり、レシピ集成の場合もある。さらには、著名だけが記憶されているものもある。これらのテクストは、しばしば錬金術や秘教主義哲学の強いテイストをもっており、ときにパラケルススの正真の教えからは非常に隔たっている内容を提示する。  なるほどパラケルススは、レイモンドゥス・ルルス(Raymondus Lullus, c. 1232-c. 1315)に帰される文書群に由来する中世末期の錬金術から多くの用語や考えを借用した。しかし彼の主要な関心は、錬金術から借りた考えや技術をもちいて医学を改革することにあった。したがって卑金属を貴金属に変成することにたいする彼の関与は非常に限定されていた。  16世紀後半に生きたヨハネス・フーザー(Johannes Huser, c. 1545-1600/1)のような例外をのぞけば、パラケルススの手稿をじかに手に取って注意ぶかく研究することができた人間は非常にかぎられていた。当時のほとんどの人々は、出版物の洪水のなかで正真作と偽作を見分けられなかったのだ。この正真と偽の混淆が、錬金術や魔術の守護神パラケルススをめぐる伝説的なイメージの誕生に寄与したのだ。実際のところ現代のパラケルスス像も、ここに多くを負っている。

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