こんにちは、風水師の黒門です。
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風水雑記60
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奇門遁甲は、唐代の頃までは「遁甲」と書かれていました。
しかし、現代の中国では「奇門遁甲」または「奇門」と呼ばれています。
このことから、唐代以前の遁甲と現代の奇門遁甲は別の術だという
主張があります。
これは台湾の陳炳元という人物が言い始めた説だと思います。
陳炳元氏は、奇門と遁甲は別の術で、
清代の「遁甲演義」以降混同されてしまったと主張しています。
なお、陳炳元氏は「奇門易数」という不思議な占術を紹介しています。
これは紫微斗数様な盤に、八門を配置するもので
そのうち公開したいと思っています。
さて、話は戻って
唐代の李筌という人物が書いた「太白陰経」という兵法書があります。
その第九巻は遁甲の巻で、まるまる奇門遁甲について記述してあります。
結論から言えば、太白陰経の奇門遁甲は、
現在、我々が用いている奇門遁甲と同じ有ることが判ります。
さらに遡ると、普代の葛洪が表した「抱朴子」という文献には
「太乙遁甲」「遁甲中経」等の
当時の奇門遁甲書からの引用が数カ所に見られます。
その中に、現在我々が使っている奇門遁甲の各局の名前が
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