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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第497号2022.10.18配信分
●史上何度目かの時代の分水嶺にある現在
時代は常に変化する。人はその変化の中に生まれ、成長し、翻弄
されやがて土に還って行く。長く生きないと変化を実感できない。
物心がつかない頃に大きな変化に遭遇しても理解が及ばないし、変
わり目を過ぎた時期に世に出てしまうと、実感として過去を理解し
難い。後の祭りとは良く言ったもので、リアルタイムに反応できる
自分がいるかどうか。それが別れ道になることを痛感している。運
不運とは、つまりそういうことに尽きるのだろう。
私は幸運にも70歳まで健在を保っている。いつも書くように自動
車人になって52年、自動車メディア界をフリーランスライター一筋
で45年目に入っている。始まりは成り行き任せだった。二十歳前後
の小僧時分に高度経済成長の勢いを肌で感じていたのは間違いなく、
その負の遺産とも言える公害やら交通戦争といった世相を知りつつ、
モータリゼーションの息吹に絆(ほだ)され『よし、モーターレー
シングだ』と心に決めた。ところが第一次石油危機(オイルショッ
ク=1973年)の荒波をモロにかぶった。準備段階2年前のことだ。
今の65歳未満に私が抱いた時代感覚の共有を期待するのは無理だ
ろう。同じ高齢者と括られる還暦世代であっても、5年の時代差は
けっして小さくはない。だってオイルショック発生時は高校生にな
ったばかり。今年還暦を迎えた世代などはさらに5年下の小学4年
生であり、最短としても自動車運転免許取得年次は1980年となる。
1978年の第二次オイルショックや昭和53年自動車排出ガス規制克服
など知る由もなく、時代の分水嶺だった1985年をリアリティを持っ
て振り返れ!なんて、酷な話と言うしかない。
1971年の『ニクソンショック』は訪中宣言とドルの兌換停止を指
すトピックとして記憶されている。いずれも世界秩序の変革を決定
づけた大転換として知られるが、当時19歳の私には「何のことやら
さっぱり」だった。そこへ行くと1985年9月のG5(先進5ヶ国蔵
相・中央銀行総裁会議)でなされた『プラザ合意』は印象に残る。
時に33歳のことであり、少しは世の中が見え始めた頃だからだ。
今にしてみれば、この時こそ実は時代の分水嶺であり、ドル/円
為替が真の意味で変動相場制に舵が切られる端緒だったとわかる。
そして、日本の経済成長は事実上ここで終焉を迎えた、とも。
そして現在我々が直面している状況は、これら歴史的文脈の上に
成り立っているのであり、対応策は過去の分析に求めるのが最善と
分かる。無謬性にこだわり前例踏襲にしがみつくことで時代の変化
に対応することができず、長年続けることで既得権益と化して変わ
れない社会を醸成している。巨大化した政府の行政官僚主義とその
システムが、広く日本社会を被い民間レベルの隅々まで浸透した結
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