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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.250
2022年11月17日号
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◆今回の内容
○聖地から学ぶべきこと
・ランドスケープ=風景の意味
・聖地と対すること、聖地の一部であるということ
・アニミズムに秘められたヒント
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聖地から学ぶべきこと
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この聖地学講座も、今回で250回目となりました。これまで、様々な角度から聖地について考えてきましたが、一口に<聖地>といっても、その成り立ち方は様々で、「聖地とは何か」ということを端的に表現するのは困難です。
強いていえば、そこにいると人が何かを感知あるいは知覚できる場所であり、その何かというのは、古来<ゲニウス・ロキ>とか<気>とか<マナ>と呼ばれてきたようなある種の雰囲気といえばいいのかもしれません。
宗教学者の鎌田東二は、他の場所とは異なるそんな聖地独特の雰囲気を、人の五感とともに魂を真っ先に刺激する力として<第一行>と名づけていますが、私としては、この<第一行>という言葉が、聖地の雰囲気を言い表すものとしては、いちばんフィーリングに合っている気がします。しかし、そう自分で書いておきながら、「気がする」の<気>とは、そもそも何なのかと、元に戻ってしまうわけですが。
このように、聖地を定義するのは非常に難しく、どうしても主観的になってしまうジレンマがあります。しかし、<聖地>は実際に存在するわけで、存在するからには、やはり独特の意味があるはずです。
なんだか、すでに循環論法に陥っているきらいがありますが、今回は、この聖地学講座のドラスティックなテーマである聖地とは何かということ、そして聖地と人とのかかわり合いについて、今までとは少し異なる視点から考えてみたいと思います。
●ランドスケープ=風景の意味●
まずひとつ、はっきり言えるのは、聖地は様々な記号群によって構成されているということです。私が探究のメインとしている聖地の構造もそうですし、そこに散りばめられた紋様や造形といったシンボル、そして祭神や聖地にまつわる神話も記号です。
記号論的にいえば、聖地に散りばめられたこうした<シニフィエ=記号そのもの>が、いったどんな<シニフィアン=記号が表象するもの>を指し、何を伝えようとしているのか。それを読み解くことで見えてくる聖地の側面があります。
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