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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第499号2022.11.1配信分
●振り返れば無手勝流
原体験がある。いつも書いている1980年6月のことだ。この時私
自身初の海外渡航を経験している。前月5月15日に挙式し、ホンダ
の世界フォーミュラ復帰第2戦(欧州F2第6戦@シルバーストン6
月8日)と1971年にS.マックィーンのルマンを観て以来の憧れル
マン24時間耐久レース(第48回6月15日)の取材に絡めてエールフ
ランスB707機に搭乗。表向きは新婚旅行だが、単に観光するほど
余裕があったわけではもちろんなくて、多少なりとも実入りがある
ようにと考えた結果だった。
振り返れば無手勝流そのものという気がする。この時点ではまだ
自動車ライターとして地位を確立していない半人前以下。その2年
前までは富士SW(スピードウェイ)を主戦場にモーターレーシン
グに参戦し、本人大真面目にF1ドライバーを目指していたわけで、
当然といえば当然だ。
思い立ったのが20歳であり、実戦参加に漕ぎ着けたのが23の時。
2000年代初頭に20歳でF1を目指し、遂には大願を成就させたあの
佐藤琢磨と比べるのも何だが、今ほどネットに情報が溢れる環境と
は程遠い半世紀前の話である。
アルバイトで資金を稼ぎ、それを元手にプロを目指す……今振り
返ると完全なるファンタジーの世界だが、情報が限られた分だけ夢
見ることが出来たのは本当だ。もしも当時と同じ境遇のまま現代を
生きていたとしたら、私だって思い切れたかどうか分からない。
運こそ実力そのものという説が台頭している。私は今まったくそ
うだと首肯する。実力あっての運というより、運と一体化したもの
が実力であり、時代に合うか合わないかは巡り合わせと言う他ない。
もしも角田裕毅が私と同じ時代を生きていたら、二十歳そこそこで
F1パイロットのレギュラーシートを得る可能性は100%なかった。
イチロー(鈴木一朗)や松井秀樹が20年早く生まれていたら米国
メジャーリーグベースボールで功成り名を遂げることはなく、10年
前に大谷翔平が二刀流でMVPを獲ることも考えられない。長島茂
雄や王貞治が日本の野球のスーパースターとなり得たのも昭和の高
度経済成長期があればこそだろう。私がモーターレーシングの門を
叩くきっかけとなった生沢徹が20年遅くこの世に現れていたら、日
本の自動車史は別物になった可能性があるだろう。
時代を読み取るか時代に愛されるか……いずれにしても運を前髪
で んだ者だけがその時代に愛される寵児となるのは間違いない。
その意味では、私のこれまではそれほど悪くはなかった、と思う。
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