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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第500号2022.11.8配信分
●日本の既存メディアはコマーシャリズムが先に立つ
クルマのドライビングスキルは、語学を補って余りあり、その質
の高さによって旅の余裕が飛躍的に高まって行く。遙か42年前の渡
航を境に私の行く末はかなり具体的に形を成してきたように思う。
当然のことながら右側通行左ハンドルのヨーロッパの交通環境は
初体験ではあったが、左ハンドルの輸入車を舶来品として古くから
重宝がる風習が(今なお)続いている日本では左ハンドルを手にす
ることは珍しくない。20代前半のGSアルバイト時代から当時輸入
車といえばアメ車が通り相場であり、常連顧客にシボレーカマロを
好んで乗る人がいたりで転がす機会にも事欠かなかった。
加えて、人生経験が浅い内にレースを闘った経験がささやかな自
信になってもいた。これにフレッシュなフィジカルである。伸び盛
りということもあり、ひとつひとつの経験が成長に役立った。人は
誰でも挑戦(チャレンジ)すれば十中八九失敗する。
失敗は恥じる必要など微塵もなく、それが若ければ若いほど成長
の糧になる。当然その時は凹むが、振り返ればチャレンジしてコケ
たからこそ先に進めたと思うことが多い。犬も歩けば棒に辺り、猿
も木から落ちるの諺通りだと、この歳になれば分かる。為した後悔
と為さざる後悔とでは、断然後者の方が悔いることになる。この歳
になってもまだ上を向いて歩いて行けるのは、その繰り返しだった
これまでの経緯に負うことが大きい。
”闘う君のことを、闘わない奴らは笑うだろう♪”は中島みゆき
の『ファイト』の一節だが、長くやっていれば既得権益のぬるま湯
にしがみつく後者になることを潔しとしない思いが募ってくる。
私の脛は傷だらけだが、『失われた30年』の本質は今まで通りを
願う大多数(公務員やら開業医やらサラリーマンといったほとんど
すべての人々)にあると観るべきだろう。すなわち(皆と同じで安
心する)同調圧力が変われない日本の正体であり、右も左もお大尽
も貧乏人もこの極東の島国という閉ざされた空間に安住したいと願
った結果という気がする。
それを糺すのが本来メディアの役割なのだが、残念ながら日本の
既存メディアはジャーナリズムの前にコマーシャリズムが先に立つ。
自動車メディアも例外ではなく、というより私がこの業界に入った
頃から「ジャーナリズム?そんなのないよこの業界誌界隈では」実
しやかに公言する編集者しかいない。
私は50歳になった20世紀末から21世紀初頭にかけて時代の変化を
自覚し、あれこれ変化を画策したが業界の不興を買って現在に至る。
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