菅原健一さんのご紹介
シバタナオキ(以下、シバタ): 皆さん、ご無沙汰していますでいいのですよね。シバタです。『決算が読めるようになるノート』はイードさんに事業譲渡をしたのですけれども、たまには私も対談などで登場してもよいとおっしゃっていただいていますので、これからも機会があれば対談シリーズをやっていきたいなと思っています。
今日は、私の友人かつ先輩の菅原健一さんにお越しいただいています。今日ご紹介する新しい本を出版されるということなので、本の内容は本を買っていただいたほうがいいと思いますけれども、本の裏側にあるストーリーなどをお話いただきたいなと思っています。
菅原さん、今日はよろしくお願いします。
菅原健一氏(以下、菅原): よろしくお願いします。
シバタ: まず、簡単に自己紹介をいただいてもよろしいですか。
菅原: はい。菅原健一と言います。今はMoonshotという会社をしています。その前、僕はいわゆるスタートアップにいることが多かったのですが、スタートアップというのは無いものを存在させるべく頑張っていく会社たちですので問題だらけでした。その問題をどうやって解決しようかというふうに考えていった結果、僕は、1つはベンチャー企業、日本の大手通信キャリアのKDDIの子会社に売却することができ
て、そこからそのまま経営を続行して売上を伸ばしていったという経験と、もう1つはそのあとにスマートニュースという会社に行って、2年で売上を伸ばしていったという経験を得ました。その2つの経験をもとに、今、Moonshotという会社で多くの企業にスタートアップ的なアドバイスをする仕事をしています。
二十歳から働き始めて、最初はエンジニアでしたが、その経験でずっと問題続きでしたので、この問題をどうやったら解決できるのかというのを型にできるなと思ったので、今回本を出すことになりました。仕事がうまくいかない人とか、報われない人とか、仕事の結果をもっと出したいと思っている人とか、多くの人たちにこの本を読んでもらえたらいいなと思っています。よろしくお願いします。
シバタ: ありがとうございます。私との関係性で言うと、以前Twitterにもポストしましたが、私は何か新しいことを思いついたときに壁打ちをしてくれる貴重な友人、先輩というのがおりまして、実は菅原さんはそのうちのお1人です。普段から結構定期的に「こんなのどうですか」というのをかなり密にお話させていただいている、大変ありがたい存在の1人です。
今回、菅原さんが新しい本を出されるということで、私も原稿を拝見したりしていますが、なんと予約の時点でAmazonの書籍総合で1位になっているそうです。皆さんよくカテゴリーで1位になったと喜ぶ人がいるのですが、総合ですでに1位になっているという、本当に爆発的に売れることが間違いないのではないかと思います。
ちなみに、私が数年前に出した本は総合2位まで行きましたが、当時、某アイドルの写真集に負けまして1位になれなかったということがありましたが、菅原さんの新しい本はすでに総合1位になっているということで、私の本よりも確実に売れるのではないかなと思っています。
菅原: いえいえ。
シバタ: タイトルは、なんと『小さく分けて考える』。コンサル業界にいる人からすると、因数分解するという言葉をよく使うかなと思いますが、この『小さく分けて考える』というタイトルも非常に素晴らしいと思います。目次だけを見てもわくわくするような目次になっていますし、中身も本当に勉強になることがたくさん書いてあります。
今日は、本の内容をチラ見せするというのもありますが、それはもしかしたらほかのメディアさんでも出るかもしれません。私のほうでは、私が本を拝読して特にビビッときた3カ所についてそれぞれ少し深堀りして、本には書いていないような、もう少し具体的なそのときの様子やストーリーを菅原さんにお話いただきたいなと思っています。
ということで、よろしいでしょうか。
菅原: もちろんです。よろしくお願いします! ドキドキする…。(笑)
その1: 「小さく分けて考える」の原点は菅原さんご自身がエンジニアとして悪戦苦闘した日々...
シバタ: 私が尋問するみたいになっていますが…。(笑)1つ目は、先ほどもお話にあった通り、菅原さんはキャリアのスタートが実はエンジニアだったということです。エンジニア時代にいろいろなトラブルがあったということで、菅原さんご自身が分解思考をするようになったきっかけについて教えてください。本にももちろん書いてありますが、その辺の話をもう少し詳しく聞きたいなと思いますが、いかがでしょうか。
菅原: ありがとうございます。最初にエンジニアとして、二十歳の頃からキャリアを始めました。それが1997年かな。今では少ないですが、SI業界(システムインテグレーション業界)でいわゆるSE(システムエンジニア)という仕事、今で言うとみずほの銀行システムのような膨大なシステムを数百人でつくる、そういう仕事でした。
そんな中で、僕はその仕事を一番下っ端からしていかなければいけなかったのですが、なんとか先輩に文句も言われずに自分が一番得意な仕事をしたいなと思っていました。1999年から始まったiモードやJ-SkyWebやEZwebといったガラケーのコンテンツがつくられる中、私の当時の会社はそのうちの1社の課金システムをつくっていました。
それで、携帯会社さんから「コンテンツもつくったらどうですか」と言ってもらったのです。コンテンツは隣の部署の仕事でしたが、40歳のおじさんにはつくれないから、当時22~23歳だった僕がつくるほうがいいよなと思って「はいはいはい!」と立候補して、エンジニアとしてガラケーサイトをつくり始めることになったのです。
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