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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第501号2022.11.15配信分
●古来日本には『ええとこ取り』の伝統があった
所変われば品変わる。まず前提として自然環境という風土があり、
そこに生きる人々の価値観が時代の経過とともに積み重なって行く。
日本人の多くが憧れるヨーロッパは一つではない。自動車先進国と
誰もが認めるドイツや長きにわたってライバル関係にあるフランス、
イギリス(UK)などはいずれも異なる言語を持ち、環境によって
育まれるクルマのテイストもそれぞれに異なる。
考えてみれば、欧州と一口に言うけれど多様性ということではこ
れほど変化に富んだ地域も少ない。北のスカンジナビアに始まり、
大陸を隔てたグレートブリテン島を中心とするUK、ベネルクス三
国、ドイツ、フランス、オーストリア、スイス、イタリア、スペイ
ン、ポルトガルギリシャの西欧。ポーランド、ハンガリー、チェコ、
スロバキア、旧ユーゴスラビアから分離独立した国々やブルガリア、
今何かと話題のウクライナといった東欧諸国。それほど広くはない
大陸に民族的にも言語/宗教にしても同じではない人間が暮らす。
基本的に島国であり、地政学的にも自然環境の複雑さにおいても
近代西洋を築いた”ヨーロッパ人”とは共通項の持ちようもない。
極東という、意味的には北極や南極と同じ意味合いの辺境に位置す
る自覚を持つことなく、260年続いた鎖国令を敷いた徳川幕藩体制
をひっくり返してからわずか150年余りの間にここまで来た。
このようなメタ認識を持つに至るには、よほどの天才でもないか
ぎり生まれ育って成長成熟し老いとともに失われて行く体力を前に
しながら歳を重ねる他ない。現在古希70に至った今の私の心境に、
還暦以前のまだ身体が何の心配もなく普通に動けた頃の私が至れた
かというと無理だろう。
前言を受けて言えば、たとえどんな天才でも思春期以前に世界を
一変させる画期的変化をもたらすことはない。ポテンシャルはとも
かくとして成長過程での視野は限られる。人間には経験やそこでの
チャレンジの結果としての失敗を踏まえて学ぶことが不可欠である
ようだ。
この点、極東の島国という地政環境は良くも悪くも孤立しがちだ。
世界一の前に日本一という概念があるように、列島自体が閉ざされ
た価値観に自己完結しやすい傾向がある。古来日本には『ええとこ
取り』(自らに都合の良い文物を選り好んで取り入れたり、入れな
かったり)の風習がある。例えば明治維新の文明開化にしても、一
件丸呑みで西洋文明を取り入れているようで、実は和の伝統を頑な
に守り通している。
例えばもうすぐクリスマスがやって来て、街中にメリーXmasの
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