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池田清彦のやせ我慢日記 vol.229 -歳をとって分かったこと-人生に生きる意味はない--

池田清彦のやせ我慢日記
池田清彦のやせ我慢日記 / 2022年12月9日発行 /Vol.229 INDEX 【1】やせ我慢日記~歳をとって分かったこと-人生に生きる意味はない-~ 【2】生物学もの知り帖~黒死病のパンデミックは自己免疫病を増加させた~ 【3】Q&A 【4】お知らせ 『歳をとって分かったこと-人生に生きる意味はない-』  最近『バカにつける薬はない』という本を上梓した。2021年の1月から2022年の4月にかけて、このメルマガに連載したエッセイをまとめたものだ。その中のV章は「老いの人生論」と題して、老人になった感慨を綴ったものだ。昔まだ若かった頃『昆虫のパンセ』(青土社、後『虫の思想誌』と改題して講談社学術文庫)に収められた「ファーブルと彼の虫たち」の中で、ファーブルが再婚相手との間に、ファーブル64歳、66歳、71歳の時に子宝に恵まれたという話に続いて、「残念ながら私は老人になった事がないので、71歳で子供を作るという意味がよく分からぬ」と偉そうなことを書いた。  それから30年の時が過ぎて、今や75歳というまごうことなき年寄りになったが、71歳で子供を作るという意味がよく分かるようになったかというと、やっぱりよく分からないのである。肉体的な老化とはどういうことかを、身に染みて分かるようになる以外には、歳をとったからと言って分かるようになることは余りない。  しかし、そんな中でも、ああそうだったのかと分かることも稀にある。75歳を過ぎた老人になってよく分かったのは、人生に生きる意味なんかないという、当たり前の事実である。若い時は、頭に余力があって余計なことを考えるので、人生の意味なんてことも考えたくなるが、心を虚しくして見れば、人生に意味なんかないのは当然の気がする。そもそも、悠久の宇宙の歴史から見れば、人類の生存や繁殖に何か意味があるかと言えば、何の意味もなさそうだ。  冒頭に挙げた「老いの人生論」を書いてから、まだ1年程しか経っていないが、「人生に生きる意味などない」ということがしみじみと腑に落ちたのは、1年歳をとった成果である。これで、死ぬのが余り怖くなくなった。私は若い頃から、完膚なきまでの無神論者で、宗教に魅力を感じたことは一度もない。宗教を信じる人は、結局のところ死ぬのが怖いのだと思う。  動物は、苦痛から逃れたいとは思うだろうが、死ぬのは怖くないに違いない。そう断言すると、動物になったことがないのに、どうしてそんなことが分かるんだ、と絡んでくる人がいそうだけれど、動物は、脳の構造からして、人間のように確固とした自我を有していないので、死ぬのは怖くない、と考えて差し支えない。

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