自動車依存経済に黄色信号
今年のプロ野球で「村神様」の活躍が目立ったのとは裏腹に、日本経済の4番打者自動車のけん引力に不安が見られます。戦後の日本ではトップ企業が所属する業界が10年ごとに変わりました。このため、リーディング産業の寿命10年説がありました。戦後10年ごとのリーディング産業は順に、繊維、造船、鉄鋼、自動車と移り変わりましたが、自動車の後が続きません。この40年、日本は自動車産業に支えられる経済を続けてきました。
自動車産業の生産額は製造業全体の15%を占め、その巨大なピラミド構造から、多数の下請け企業群を引き連れて、日本経済全体に大きな影響を持ち続けてきました。しかし、トップ産業を長年続ける中で、商品供給と市場構造とが次第に乖離するようになり、さらにEVへの立ち遅れをついて、中国製EV車が日本に殴り込みをかけてきました。このままではアジアに取って代わられた家電業界の二の舞になりかねません。
「国民の所得水準と乖離」
自動車が日本のリーディング・インダストリーに駆け上がろうとしていた1970年代には、若者の夢が、車の助手席に恋人を乗せてドライブすることでした。初任給は10万円あるかどうかの時代でしたが、時間とともに給与は増えるという期待があり、借金して車や家を買うことに抵抗がありませんでした。成長期待のもと、所得が年々増えると思われていました。
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