『1941』が公開された1980年の3月29日、まだ世の中には「ガンプラ」
というものはありませんでした(「ガンプラ」が発売されたのは同年の7
月で、人気が爆発したのはさらにもっと後になってのことです)。アニメ
のプラモは多少はありましたが、このぐらいの時期の子供はまだまだミリ
タリーのプラモを作ることが多かったんじゃないかと思います。少なくと
もぼくはそうでした。その中でも飛行機派・軍艦派・戦車派といった感じ
で好みは人それぞれだったと思いますが、ぼくは断然戦車派というかAFV
派で(Armored Fighting Vehicleの意)、タミヤの1/35の歩兵セットや車
両や戦車をせっせと作っていました。あと当時は、あーっ、これ前に誰か
に教えてもらったのにまた忘れてしまった、第二次大戦のフッテージを集
めたドキュメンタリー番組があってそれを観ていたり(最終回が「アウシ
ュビッツ」特集で超トラウマになった)、テレビのミニシリーズ『戦争の
嵐』……はもうちょっと後か(1983年)、でもまあ戦記物とか戦争もの
が子供の娯楽のど真ん中にまだあった時代ですーー「ガンプラ」の大ブー
ムがあって状況がその後一変するわけですが。テレビで戦争映画(『史上
最大の作戦』とか)を観ることもあったし、あと色々なところで言ってい
るようにぼくがそのスケール感に超びっくりして映画の舞台裏に興味を持
つ大きなきっかけの一つとなった『遠すぎた橋』も『1941』の3年前、
1977年に観ています。
この記事は約
NaN 分で読めます(
NaN 文字 / 画像
NaN
枚)