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Crazy Culture Guide Vol.328 「スピルバーグ『1941』当時の思い出、の巻」

高橋ヨシキのクレイジー・カルチャー・ガイド!
『1941』が公開された1980年の3月29日、まだ世の中には「ガンプラ」 というものはありませんでした(「ガンプラ」が発売されたのは同年の7 月で、人気が爆発したのはさらにもっと後になってのことです)。アニメ のプラモは多少はありましたが、このぐらいの時期の子供はまだまだミリ タリーのプラモを作ることが多かったんじゃないかと思います。少なくと もぼくはそうでした。その中でも飛行機派・軍艦派・戦車派といった感じ で好みは人それぞれだったと思いますが、ぼくは断然戦車派というかAFV 派で(Armored Fighting Vehicleの意)、タミヤの1/35の歩兵セットや車 両や戦車をせっせと作っていました。あと当時は、あーっ、これ前に誰か に教えてもらったのにまた忘れてしまった、第二次大戦のフッテージを集 めたドキュメンタリー番組があってそれを観ていたり(最終回が「アウシ ュビッツ」特集で超トラウマになった)、テレビのミニシリーズ『戦争の 嵐』……はもうちょっと後か(1983年)、でもまあ戦記物とか戦争もの が子供の娯楽のど真ん中にまだあった時代ですーー「ガンプラ」の大ブー ムがあって状況がその後一変するわけですが。テレビで戦争映画(『史上 最大の作戦』とか)を観ることもあったし、あと色々なところで言ってい るようにぼくがそのスケール感に超びっくりして映画の舞台裏に興味を持 つ大きなきっかけの一つとなった『遠すぎた橋』も『1941』の3年前、 1977年に観ています。

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