「小松成美の伝え方の教科書 ノンフィクション作家に学ぶコミュニケーション術」
vol.39「ドーハの歓喜を生んだ森保一監督の物語〜強くなるために必要なこととは?〜」
【今週の目次】
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1. 成美のつぶやき
└ 日本中が熱狂した日本代表のチャレンジ
└「負けて当たり前」の時代もあった
└ 世界に誇る日本のサッカーが生まれるまで
└ もうひとつのワールドカップ、アベマ藤田奨社長の賭け
2. ドーハの歓喜を生んだ森保一監督の物語
└ 森保一が経験したワールドカップ“ドーハの悲劇”
└「ボランチ」を広めた男!?
└ 乗り越えたドーハの悲劇
└ サッカーが強くなるために必要なこととは?
3. 小松成美の質問コーナー
4. お知らせ
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1. 成美のつぶやき
日本中が熱狂した日本代表のチャレンジ
2022年11月21日に開幕した4年に1度の祭典、「FIFAワールドカップ・カタール大会2022」。皆さんも寝不足になりながら観戦したことでしょう。
日本代表の目標だったベスト8を賭けた先日のクロアチア戦、惜しくも敗退してしまいましたが、単純に順位や勝った回数だけでない、衝撃とインパクト、感動が、今大会にはあったと思っています。
【ワールドカップ・カタール大会 対戦の記録】
11/23(水)ドイツ(FIFAランク11位)戦、1-2で日本勝利
11/27(日)コスタリカ(FIFAランク31位)戦、1-0でコスタリカ勝利
12/2(金)スペイン(FIFAランク7位)戦、1-2で日本勝利
12/6(火)クロアチア(FIFAランク12位)戦、1-1(PK3-1)でクロアチア勝利
結果を振り返るだけでも、胸が熱くなりますね。
ドイツに逆転連勝利した初戦の夜は、歓喜で眠れませんでした。
格下と見ていたコスタリカに敗れた2戦目は、初戦と打って変わって日本代表には良いところがなく、ワールドカップの厳しさを知りました。日本対コスタリカ戦の後に行われたドイツ対スペイン戦が1-1の引き分けだったので、日本がベスト16に進出するには、スペインに勝利するしかないことが判明します。
そして、運命のスペイン戦。選手たちの勝利への執念は凄まじいものでした。スペインの1点リードで迎えた後半、投入された堂安律選手のゴールが3分後に決まると、それから3分後、「三苫の1ミリ」のクロスが炸裂します。そのラストパスをゴール前に詰めていた田中碧選手が押し込み、逆転に成功すると、日本は、優勝候補の一角だったスペインに勝利し、「死のグループ」と呼ばれたE組で首位となり決勝トーナメントへ進んだのです。
田中選手のゴールの後、三笘薫選手が追いすがり左足で上げた折り返しのパスが、ラインを越えていたのか、いなかったのか、VAR判定が用いられました。目視だとボールのほとんどはラインの外にあったように見えましたし、ボールを蹴った本人である三笘選手も「多分、出ていた」と判定を待つ間に、森保一監督に話していたそうです。
しかし、結果は、ボールが1ミリライン上に残っていたことが確認され、2点目が取り消されることはありませんでした。テクノロジーによる判定への反発は大きく、スペインのメディアやファンは、大ブーイング。
すると、試合の翌日、FIFAは田中選手のゴールが認められた経緯を公式『Twitter』で説明したのです。
《スペインに2-1で勝利した試合の日本の2点目は、ボールが出たかどうかを決定するためにVARにより確認された》
《ビデオマッチオフィシャルはボールが部分的にライン上にあるかないかを確認するために複数のゴールラインカメラ画像を使用した。他のカメラは誤解を与えるような画像を提供したかもしれないが、エビデンスによりボール全体は出ていなかった》
※GOALから引用
ワールドカップカタール大会を戦う日本代表の最大の目標は、「新しい景色」を見ること。それはすなわち、ワールドカップでベスト8にまで勝ち進むことでした。予選を突破するもベスト16以上に進んだことのない日本は、クロアチアに勝って「新しい景色」を日本のサッカーファンに見せることを心に期してピッチに立ったのです。
日本対クロアチア戦は、死闘と呼んでもよい緊迫感に満ちた戦いでした。1点のリードの後、同点にされた日本代表は追加点を奪えません。1-1のまま延長戦を終えると運命のPK戦が待っていました。
3人が外した日本は、寸でのところで「新しい景色」に辿り着くことはできませんでした。
しかし、森保監督の言葉通り、彼らは私たちにサッカーの「新しい時代」を見せてくれたと思っています。
「負けて当たり前」の時代もあった
皆さんもご存知の通り、私は、日本のプロサッカーをその黎明期から取材しています。
1994年のワールドカップアメリカ大会を目指す日本代表を追いかけ、1992年より、雑誌「Numbers」で執筆を続けていました。
その当時の日本のサッカーは、多くの選手が実業団チームに所属しており、日本代表が欧州や南米の代表チームと対戦するたびに「胸を借りる」「経験を積む」といった言葉が用いられていたのです。強豪国とのゲームでは、負けて当たり前の意識が、戦う選手にも、応援する観客にもありました。「負けても善戦した」と書かれるゲームが、どれほどあったことでしょう。
けれど、それから30年の時を経て、日本代表は世界の強豪国を圧倒するまでになりました。
現在でもFIFAランキングでは大きく離されていたドイツとスペインに日本代表が勝った事実は、負けないゲームを戦うことができる強さが示されていました。選手たちのスキルとメンタル、それを采配する監督の一挙手一投足に、「勝つためのサッカー」を見たのです。
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