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渡辺勝幸の日本一元気になるメールマガジン
第4476号 令和4年12月16日(金)発行
発行部数 11,490 部
【志は、貧しくなっても豊かになっても変わらない】
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【志は、貧しくなっても豊かになっても変わらない】
第二十七、第二十八の二章は結局、同じ意義になります。
第二十七章「飢渇が正しい味の判断を誤らせるようなことを、
心の判断の上に起きないようにする」とは、
貧賤に陥ったからといって
その心を動揺させることがないことをいったものであり、
第二十八章「三公の栄誉を得たからといって自分の操をかえることがない」とは、
富貴をもってしても、その志を変えることがないことをいったものです。
すなわち、このような人物こそ、孟子のいう
「富貴も淫すること能はず、貧賤も移すこと能はず」
に相当する大丈夫(真の男児)であって、
宋の程子が「富貴も淫せず貧賤も楽し、男児此に至れば是英雄」
と詠じているのも、このことであります。
ですから、人たるもの、
どうしたら大丈夫となり、英雄となることができるか。
それはただ、伊尹の志をわが志とし、
顔淵の学問をわが学問とするのみであって、
そうするならば、富貴貧賤のごとき問題はおのずから価値がなくなり、
わが心を堕落させ変節させることはできないのです。
唐の杜子美の詩に、
「絵画に心を打ちこんで、身に老の至ろうとすることに気づかないでいる。
されば富貴のごときは、空に浮んだ浮雲のようなもので、
全く関心を持たぬ」
とあります。
丹青、絵画に打ちこんでさえその通りでありますから、
まして君子の大道に志すものが、富貴貧賤に心を動かさないこと、
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