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佐々木俊尚の未来地図レポート 2022.12.19 Vol.735
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【今週のコンテンツ】
特集
「怒りと義憤はエンタメである」とアリストテレスは言った
〜〜〜ニュースに脊髄反射してはならないたったひとつの理由
未来地図キュレーション
佐々木俊尚からひとこと
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■特集
「怒りと義憤はエンタメである」とアリストテレスは言った
〜〜〜ニュースに脊髄反射してはならないたったひとつの理由
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古代ギリシャの偉人アリストテレスの本を読んでいると、2000年以上も前の人なのに「なぜこんなに現代人の心の機微がわかってるのか!」と驚かされます。それほどまでにリアルに「心」というものを突き詰めて考えた哲学者なのです。
たとえば「怒り」は実はエンタメである、とアリストテレスは言っています。いやもちろん「エンタメ」などという現代日本のことばは使っていません。「快楽がある」と言っているのですが。
怒りのエンタメとは何かと言えば、それは「相手をやりこめることができるのだ」という期待である、とアリストテレスは言っています。もし怒っても相手がビクともしないのだったら、怒り甲斐がありません。怒ってる自分が、逆に道化師のように思えてくるでしょう。しかし相手が自分の怒りに恐れをなして、ひれ伏しはじめたら「やった!怒ったらこいつはビクついてるぞ!」と快楽になるのです。
ツイッターが広まりはじめたころ、「謝ったら死ぬ病」というスラングがありました。なにか失敗をしでかしたり、失言した人がツイッターで責められる。それでも絶対に謝ろうとしない人に対して「謝ったら死ぬ病ですか?」と揶揄したのです。まあプライドや相手への感情などが邪魔をしたりしてなかなか謝ることができないケースは、誰にでもあるでしょう。
しかしツイッターが日本社会に定着してきてだんだんとわかってきたのは、「謝ったら死ぬ病」の蔓延ではなくて、逆に「謝っても絶対許さない病」がパンデミックのようにツイッター上で感染を広げていることでした。失言などをした人がきちんと謝罪したとしても、「謝るってことは自分が悪いと認めてるってことだな!一生謝ってろ」「そんな謝罪で許されるわけないだろう!」と謝罪者をさらに追い込む人たちが大量に現れてきたのです。
これなどはまさに「怒りがエンタメになっている」の好例ではないでしょうか。そもそも謝罪は目標ではなく、問題解決にいたるプロセスのひとつにすぎません。謝罪はプロセスとして必要な場合もありますが、重要なのは最終的に問題解決へと至る道筋をつくることです。しかし「怒りはエンタメ」の人たちにとっては、問題解決などはまったく楽しくなくエンタメにならないので、興味が無いのです。ただひたすら怒りまくることを楽しんでいるだけ。
アリストテレスは、ホメーロスの英雄詩「イリアス」に出てくるこんな文章を引用しています。
「これこそ、したたる蜜よりもはるかに甘きもの。人々の心に燃えひろがりいく」
いやはや。
アリストテレスは、「義憤」にも言及しています。義憤とはなにか。手っ取り早くウェブの国語辞典で調べてみると、「道義に外れたこと、不公正なことに対するいきどおり。『金権政治に―を覚える』」とあります。
アリストテレスは義憤を、四つに分類しています。
(1) 「最高に良いモノを持つのにふさわしい人間」だと信じている人が、「私よりもずっとレベルが低く、最高に良いモノを持つ資格などないようなくだらない人物が、なぜ私と同じ高級なモノを要求しているのか」といきどおる。
(2) 人格が優れ、ものごとを的確に判断する力をもった人が、だれかの不正を見つけいきどおる。これは真っ当な義憤。
(3) なにかの座を狙っているような野心家が、「そんな資格もなさそうなヤツが、自分が狙っている座をたまたま手に入れてしまった」のを見てしまったときに感じるいきどおり。
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