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第195号 銀河鉄道の動力は?/金田一三姉妹の伝説/続・兎/今年亡くなった著名人

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  • 2022/12/21
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政治ネタを楽しみにしていた人には申し訳ありませんが、今週は政治ネタはお休みして、この「前口上」と次の「トピック」を鉄道でつなげた「年末特集」をお届けします。国会も民意も無視した岸田政権による傍若無人な閣議決定に腹を立てている皆さんも、今週だけは政治から離れて、年の瀬のひとときをのんびりとお過ごしください。 ザックリ言えば、この「前口上」が落語における「枕」であり、次の「トピック」が「本編」という構成ですが、本編に登場するダイナマイト級の放送禁止用語には目をつぶっていただき、「きっこワールド」を楽しんでいただければ幸いです♪ 「銀河鉄道の動力は?」 あなたが初めて読んだ宮沢賢治の作品は何でしたか?‥‥というわけで、あたしの場合は、小学5年生の時に国語の教科書に載ってた『よだかの星』が最初だった。でも、あたしと同年代でも、別の小学校だった友だちの中には、国語の教科書に載ってた作品が『なめとこ山の熊』だったり『フランドン農学校のぶた』だったり『注文の多い料理店』だったりいろいろなので、教科書の出版社によって違うのかもしれない。 ただ、宮沢賢治のどの作品でも、最初に国語の教科書に登場するのは「小学5年生」と決まってるみたいだ。宮沢賢治の作品には、方言や独特の言葉遣いなど、低学年の子どもには分かりずらい部分があるので、ある程度の国語力がついた高学年になってから読ませるべき、ということなのかもしれない。 あたしの小学校では、国語の授業の朗読は班ごとに担当することになってて、『よだかの星』は、あたしの班の担当だった。班の6人がリレー方式で朗読するんだけど、アンカーを担当したあたしは、朗読しながら気持ちが切なくなり過ぎてしまい、あと少しのところで涙があふれ、読めなくなってしまった。そしたら、あたしの前の部分を読んだ隣りの席の友だちがパッと立ち上がり、その部分を代わりに読んでくれた。あたしはハンカチで涙を拭きながら、恥ずかしくて顔を上げることができなかった。 あたしは4年生の時も、出席番号の関係で、新美南吉の『ごんぎつね』の朗読のアンカーだった。一生懸命に栗や松茸を届けたごんが鉄砲で撃たれてしまうところで、あたしは涙があふれて文字が読めなくなり、そのまま下を向いてポロポロと泣き続けた。周りの席の男子たちに囃し立てられたあたしは、ごんが可哀そうなのと、自分が恥ずかしいのとで、もっと泣いた。 だけど、この『よだかの星』の時は、もう5年生にもなってたし、隣りの席の友だちの絶妙のフォローもあったので、先生もクラスのみんなも拍手をしてくれて、誰からもからかわれなかった。それでも、『ごんぎつね』の時と同じように、すごく恥ずかしかったことばかりが印象に残ってる。 ‥‥そんなわけで、冒頭の「あなたが初めて読んだ宮沢賢治の作品は何でしたか?」という質問の答えは様々だと思うけど、「あなたの一番好きな宮沢賢治の作品は何ですか?」という質問には、『銀河鉄道の夜』と答える人がヤタラと多い。ちなみに、あたしは以前も書いたけど、『風の又三郎』が一番好きで、その理由は、内容が面白いだけじゃなくて「キッコ」が登場するからだ。 「キッコ」は女の子じゃなくて、「吉郎(きちろう)」という男の子のアダ名なんだけど、『風の又三郎』のスピンオフ作品で、キッコが主役の『みぢかいの木ぺん』という未完の作品もある。「木ぺん」というのは「鉛筆」のことだ。そもそも『風の又三郎』自体、初稿と改稿で2パターンあるし、こうしたスピンオフ作品まで入れると、『風の又三郎』ワールドはめっちゃ楽しい。特に『みぢかいの木ぺん』は好きな作品だし、何より主役が「キッコ」なので、ホントなら一番好きな作品に挙げたいくらいだ。だけど、さすがに未完の作品を一番には挙げられない。 ま、それはともかく、『銀河鉄道の夜』は奥が深すぎる。まず、エピソードなどが少しずつ違う4パターンの原稿が存在するので、この4パターンをすべて読まなければ「『銀河鉄道の夜』を読んだ」とは言えない。たとえば、初稿から第3稿までは「銀河鉄道の旅はブルカニロ博士の実験により主人公が見た夢だった」という設定だけど、第4稿ではブルカニロ博士は登場しない。挿入されてる数々のエピソードも、原稿によって採用されてたり削除されてたりといろいろだ。 そして、それなら第4稿のブルカニロ博士が登場しないバージョンが「完成稿」なんじゃないかと思いがちだけど、そういうわけでもない。宮沢賢治は、より良い作品を目指して『銀河鉄道の夜』を何度も書き直してたけど、自分が満足できる「これだ!」という最終的な完成稿に辿り着く前に、37歳の若さで病死してしまった。だから、第4稿は「現存する原稿の中の最終稿」というだけで、完成稿とは違う。もしも賢治があと1年か2年ほど生きていたら、やっぱりブルカニロ博士を登場させることにした第5稿を書いてたかもしれないのだ。 だから、宮沢賢治作品を漫画化している第一人者、ますむらひろし先生は、ブルカニロ博士が登場する初期のパターンと、登場しない最終パターンを、それぞれちゃんと描き分けて、1つのシリーズとして刊行してる。漫画でもここまでやってるのだから、原作を読む人は、できれば4パターンすべて、最低でもブルカニロ博士が登場するパターンと登場しないパターンを読んでほしい。どのバージョンも「青空文庫」で無料で読めるから。 ‥‥そんなわけで、完成稿が存在せず、その手前の改稿が複数存在してる物語なので、いろいろな解釈があるわけだけど、どの原稿にも共通してるのが「銀河鉄道」の動力だ。これは、第6章「銀河ステーション」で、銀河鉄道の車窓から見える素晴らしい宇宙の景色を描写した後の、ジョバンニとカムパネルラの次のやり取りからうかがえる。 ≪引用ここから≫ 「ぼくはもう、すっかり天の野原に来た。」ジョバンニは云いました。 「それに、この汽車石炭をたいていないねえ。」ジョバンニが左手をつき出して窓から前の方を見ながら云いました。 「アルコールか電気だろう。」カムパネルラが云いました。 ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすすきの風にひるがえる中を、天の川の水や、三角点の青じろい微光の中を、どこまでもどこまでもと、走って行くのでした。 ≪引用ここまで≫ 『銀河鉄道の夜』に登場する列車は、いろいろな絵本や童話の表紙や挿絵などを見ると、必ず先頭は蒸気機関車で、その後に何両かの客車がつながってる。松本零士先生の『銀河鉄道999』だって、先頭は蒸気機関車だ。だけど、これらはあくまでも「蒸気機関車の形状を模した動力車」ということで、燃料は石炭じゃないし、動力は蒸気機関じゃない。 そもそも、空気のない宇宙空間で石炭を燃やすことなど‥‥って言い出すと、「電気」はともかく「アルコール」もアウトになっちゃうけど、当時の蒸気機関車の形状を踏襲しつつも、宇宙に合わせて動力システムを変更してしまうなんて、宮沢賢治の発想力ってホントに素晴らしい。ちなみに、松本零士先生の『銀河鉄道999』も、動力車の外観は蒸気機関車「C62」を模してるけど、動力は「GR-0999-SV」という形式の超次元機関ボイラーだ。 ‥‥そんなわけで、岩手県の花巻に生まれた宮沢賢治は、

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