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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第503号2022.12.6配信分
●「何だ?そういうこと??」小学校の苦い思い出がある
振り返ってみれば、行き当たりばったりの人生だ。予め計画を立
て冷静沈着に実行に移す……なんてことはまったくなくて、いつも
成り行き任せ。三つ子の魂百までというが、幼少期にこれといった
教えを請うたことはなく、人生に影響を与える人物との運命的な出
会いもなかった。少なくとも、小学校6年間は野山を駆け巡ること
山猿の如し。学業に身を入れる気構えなど皆無であったし、語れる
ような恩師との出会いもない。
記憶に残るエピソードがある。小学2年か3年だったか定かでは
ないが、確か算数(幾何?)のテストで直角三角形が描かれており
「さて、これは何に見えますか?」が問題である。
私はこれに「滑り台?」観たまんまを率直に答えるように記した。
形からそう考えるのが自然だと思ったのに、結果は×。”正解”を
聞いて「えっ?」となった。今なら「これは算数の問題ではない」
と即座に反論したはずだ。正直言うと設問の記憶は曖昧だが、問わ
れたのは「何に見えるか」。形からどう受け取るか。想像力を問う
ている。
もちろんとんだお門違いとなるわけだが、少なくとも私にはそう
読めた。答を知った時の気持ち?しみじみ恥ずかしかったですね。
これを機に算数嫌いになったといっても言い過ぎじゃない。
担任教師としては『直角三角形』という、教科書にある”正解”
を求めたに違いないが、問いには「何に見えるか」とあったと思う。
となれば、小学校低学年なら身近な生活感で答えて不思議はない。
(ちなみに私は3月24日の早生まれ。4月生まれとはほぼ1年違い
になる。この年頃の1年は発育に大きな違いが出て当然だ)
多分、授業では直角三角形を取り上げた直後だったに違いない。
そうであれば、何に見えるかではなくて、これは何と言いますか?
と問わなければ駄目だ。文章は書き方次第で解釈が変わる。これは
アンケートの問いと答えにも見られる傾向として指摘されている。
少し前に『AIvs教科書が読めない子供たち』(新井紀子著)とい
うベストセラーを読んだことを思い出す。そもそもの問題は日本語
の理解にある。件の教師は、予め正解に囚われるあまり設問をなお
ざりにしたのではないか。私がした頓珍漢な答えなど出るはずもな
いと見限って、問題提出を行なったに違いない。小学生の子供に向
けた問いなのに、すでに事情を呑み込んだ大人の言葉遣いを用いた。
「何だ?そういうこと??」私は子供染みた答えを恥じた。些細な
ことだが、己の浅はかさを思い知った。と同時に、授業(算数)に
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