おはようございます!
高須力、というカメラマンが羽生結弦選手を撮影し始めたのは、2009年。この時の羽生選手は、まだ15歳。ジュニアで戦う最後のシーズンでした。やがて、この少年は、史上初300点越え・史上初4回転ループ成功・オリンピック二連覇などの偉業を成し遂げますが、2014年11月8日、GP中国杯で衝突・流血の惨事に見舞われます。
2022年7月19日に引退を表明した羽生選手に驚きを隠せなかった人は多かったはずですが、
2014年の流血の惨劇を乗り越えて自身の記録を塗り替えてきた勇者には、
結局は脱帽するしかないのだと思います。フィギュアスケートも、
5回転時代が間違いなく到来するのかもしれませんが、
羽生選手が流血の惨事を乗り越えてもなお挑戦し続けた姿に、
必ず後輩達が後々花を咲かせることと思います。数々の災難を乗り越えてきた羽生選手を見ていると、
自分が2012年、血だらけで合気道五段の審査を受けていたことを思い出します。
この時の審査は、まさか途中から中止にすることはできませんでした。
2014年11月8日の羽生選手は、誰もが試合の棄権を予想しました。
しかし、そこを羽生選手は敢えて出場を続けた。
だから、どうしても私にとっては、
五段の審査を受けた自分と羽生選手が重なりました。
思えば、羽生選手に注目したのは、2009年頃からでした。当時男子シングルに、新たにシニアに移動してきた少年がいました。シニアに移動してきたばかりで、
「剛健さと同時に、柔軟性も兼ね備えた選手です。」
アナウンサーの紹介に私はハッとして、以来、ずっと羽生選手のことを応援してきました。
「剛健さと同時に柔軟性も兼ね備える。」
これは、クラシック・バレエをやっても、合気道をやっても、私が追求してきたことです。いわば、スポーツの世界で最終的に追求される課題です。それを、羽生選手はフィギュアスケートで、私は合気道の世界で実現しようとしている。これが、私が羽生選手を追いかけ続けてきた理由です。引退した羽生選手のことは応援しませんが、残された宇野昌磨選手らが、2023年3月の世界選手権で男子シングル・日本勢の表彰台独占を果たしてくれることを祈り続けます。
更に、私・真倉紫智は、公式LINEやメルマガの他にも、
いくつかの媒体に投稿をさせて頂いております。
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