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ビジネス知識源プレミアム(水曜刊:660円/月:税込):Vol.1302
<Vol.1302号:正刊:物価と金利の原理(後編)>
2023年1月15日(後編):
金融とは、金利そのものです。しかし、物価、国債価格、株価、失
業、経済成長と金利の関係はあまり知られてはいません。理由は、物
価上昇を信用通貨の価値の下落とはとらえていないからです。通貨の
価値とは、商品の購買力です。
本質は、物価が10%上がることは、通貨の価値が10%下がることで
す。このとき金利は、通貨価値の下落を補うものです。
ケインズは、国民が1万円は、来年も1万円の価値をもつと信じて
いることを「貨幣錯覚」としました。政府の立場に立って大衆を見く
だしていたのです(ケインズは英国大蔵省の高官でした)。
銀行預金の金利は、常に物価上昇率(通貨の価値下落)より低くさ
れます。なぜ、国民は預金しているのか、ということです。
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著者:システムズリサーチ:吉田繁治
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前編の冒頭で、2年のスミソニアン体制のあとの1973年に金リンクか
ら離されて「信用通貨」になったドルは、原油と金価格に対しては、
50年で、平均8%/年、価値が低下してきたと書きました。
通貨の変更は、いつの時代も、国民の手と目の届かいところで行われ
ます。1973年以降もドル紙幣は同じものだったので、ドルが金から離
れた意味に、国民は気がつかなかったのです。
【通貨の、近い歴史】
戦後のブレトンウッズ体制(ドル・金リンク制)の崩壊が1971年です。
その後2年間がスミソニアン体制、1973年からは変動相場制です。ブ
レトンウッズ体制では、1ドルを360円とする固定相場を米国が敷きま
した。金1オンスを35ドルとして、ドルは金価格とリンクしていまし
た。
米ドルは金と交換できるという意味で、金為替紙幣でした。日銀も、
1ドル360円でドルと交換すれば、そのドルと金の交換を、米国FRBに
要求ができたのです。
ドルを仲介にして間接的ですが、円、英国ポンド、ドイツマルク、フ
ランスフランも1944年から1973年までは、金リンク通貨でした。金リ
ンクのときは、物価上昇率=金利でした。金リンクから離れた通貨が
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