こんばんは!
年金アドバイザーのhirokiです。
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1.賃金や物価の伸びを年金に反映させるようになった歴史。
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歴史を遡ると物価変動率とか賃金変動率を使うようになったのは平成48年改正時からでした、
それより前はどうしていたのかというと、概ね5年毎に年金額を再計算して、その時に年金額を引き上げたり保険料率を引き上げたりしていました。
昭和30年から高度経済成長が始まったので、年金額が下がるという事は無かったですね。
これを年金の「財政再計算」と言いますが、昭和29年の厚生年金再建の時に法律に明記されました。
「保険料に要する費用の予想額並びに予定運用収入と国庫負担の額に照らし、将来にわたって財政の均衡を保つ事が出来るものでなければならず、かつ少なくとも5年毎にこの基準に従って計算されるべきものとする」という財政再建さんをするって事が明記されたのはこの時からです。
戦前は9%くらいの保険料率だったのが、戦後のハイパーインフレ(戦前の300倍に物価上昇)で昭和23年からは暫定的に3%まで保険料を引き下げました。
戦争でみんな保険料負担なんてする余力もないので、そのために保険料率を大幅に引き下げながら、老齢の年金は凍結して、遺族年金や障害年金の給付のみを行いました。
強力なインフレ抑制のために行われたドッジライン(補助金はカットし、しっかり国民から税金を取れ!)っていう政策により、しばらくはデフレ不況に陥りました。
しかし、隣国の朝鮮での戦争が昭和25年から昭和28年まで続き、アメリカ軍による需要の発生により日本の産業(主に繊維やトラックとか鉄製品への需要が発生した)が潤ったため景気がみるみる良くなっていきました。
あっという間にデフレから抜け出し、昭和27年4月8日に日本はアメリカの占領から独立したため、さあ、医療保険や年金を再建しようという動きが強まってきたのです。
それで、昭和29年5月の厚生年金大改正(再建する)へと繋がりました。
まあ、昭和29年になると厚生年金の当時の短縮特例(12年あれば受給権が発生した)で初めて老齢の受給権を得る人が出てくるので、厚生年金を再建しようという事になったのです。
ところが、厚生年金の内容を作り直すと言ったら、保険料も以前の9%くらいまで戻そうとしなければならなかったのですが(暫定的に3%に引き下げてただけだったので)、経済界(日経連)からはいやいやそんな高額な負担は受け入れられないって反発されて、そのまま低すぎる3%のままを継続しました(昭和35年まで)。
企業は従業員のために退職金のためのお金を支払ってるのに、更に厚生年金保険料を支払う事を厚生年金が出来た時から非常に問題視していました。
「どっちも報酬に比例した年金のようなものであり、2重保障になっている」とか言って厚生年金を嫌っていたのですね。
とはいえ、公的な保障と私的な保障はまた別物なので日経連の主張は無視していいと思いますが、その抵抗に負けてそのまま低い3%の保険料率が続いてしまったのです。
本当は保険料率を引き上げないといけないのに。
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