◇◇―――――――――――――――――――――――――――――
まるの日圭の 『見えない世界の歩き方』
◇◇―――――――――――――――――――――――――――――第506羽
庭木の剪定やったり庭の手入れがありますが、それが趣味の人はいいのでしょうけど特に趣味でもないと苦行になるものです。
ですが、庭の花とか樹木を全て薙ぎ払うのも殺風景ですし、田舎に住んでいるんだから花の咲く庭木は置いておきたいし。
となると、やはり手入れが必要になりますところ。
仕事とかリタイアした後に庭をいじる、とか考えたいところですがこの仕事に定年退職はあるのか疑問ですね。
___________________________________
■ メルマガの内容について
◆ うだうだ書いた内容
◆ 質問コーナー
※バックナンバーは以下のアドレスから
http://www.mag2.com/archives/0001603200/
__________________________________
<506>
今まで、尺稼ぎのようにスペースマザーの内部探索を行なってきてるわけですが、自分の境界線についての話、自分のはじまるところという認識の部分というわかりにくい探索なので、それをイメージ的に表したものが今回の旅という形になりますが。
要は複雑で単純ではないということですね。
前回でもまだ路線は増えてるような話、自分の内臓、細胞でも自分と認識していないところで癌が発生する話などなど。
結局拡大していく認識が自分の境界線を作っていくという結論になりそうな感じですがそれをイメージ的に捉えるとどうなるのか。
興味深いところです。
人間の物質的な境界は「無の領域」に取り囲まれた空間が存在するということで、こちらは割とわかりやすかったですね。
物質、生き物、全ての物質的境界線には薄い無の領域が存在し、そこがあるのでお互いが混ざらない、お互いの認識が一体化しないという部分があったようです。
ここで精神的な病になって境界線が分かりにくくなる場合がありますが、あれは精神的な部分が大きいので物質の境界線とは異なるところを見る必要があるかなと思いますが、この物質の境界線が緩んでしまった人が物からの声とか人から聞こえてくる本来発せられてない声とかになるのかな、と思わないでもないです。
無の領域の境界線は、その人の意識ではなく無意識で固定されているはずなのですが、無意識の領域が安定してない人は無の領域で許可を出して相手を受け入れる行動を行うというところでしょうか。
今回は精神的な部分の「自分」というものの始まりを、その境界を見ていくことになるので果たしてどんな感じになるのか。
いつもこうやって書いてますがリアルタイムで書きながら探索やってますので、現在は探索前にサラッと書いてるところ。
この記事は約
NaN 分で読めます(
NaN 文字 / 画像
NaN
枚)