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⇒ ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ 切支丹悲話  anecdote    3percent-club    ▲オランダの武装商船レイプ号など2隻は、平戸オランダ商館長クーケバッケルの号令で、15門の大砲から一斉に島原の原城に426発の艦砲射撃を開始した。 火の手が上がり激しい攻防が続く8日目、城に立てこもる切支丹の反乱群から“矢文”が飛んできた。 「わが国には立派な武士がいるのに、なぜ南蛮人の援助を求めるのか、恥を知れ」と、武士道魂に反する行動を非難する内容だ。 ▲3代将軍家光の時代、1600年の関ヶ原の戦いから37年後のこと、1637年(寛永14年)10月15日に長崎雲仙に近い島原で起こった切支丹一揆『島原の乱』。 オランダ船の砲撃は、4か月後の2月24日のことである。 老中・松平信綱は、12万4千人の幕府軍を動員して、籠城している37.000人の一揆群を鎮圧しようとしていた。 信綱の策略とすれば、「一揆の首謀者は、南蛮人と申し合わせて間もなく南蛮から援軍が来る旨を皆に説明して籠城しているはずだから、それは嘘だと言うことを覚醒させて落胆させるため同じ南蛮人のオランダ人に砲撃させる心理作戦」だった。 ▲ここで、ほとんどの日本人は・・・えっ?と思うだろう。 キリスト教の日本人信徒が、幕府の禁教令と酷い切支丹弾圧に抵抗して立ち上ったのに、それをキリスト教国であるオランダが一揆群に援軍を送るどころか幕府と一緒になって大砲で総攻撃した!なぜ・・・・?  学校の教科書では、どこもこの点には触れていない。 ▲天皇後継者争いで、京都の北朝⇔奈良吉野の南朝に分かれて戦争になったのが南北朝時代だが、結果は北朝方が勝利して血筋は現在の天皇家へと引き継がれている。 敗れた南朝・後醍醐天皇の武将楠木正成は今でも歴史に残る英傑だが、家紋は菊水紋で、その16花弁菊の紋章が天皇家の象徴! そして皇居には守護神として高村光雲作の楠木正成の巨大なブロンズ騎馬像が二重橋を睥睨している。 朝敵の将軍が立派な銅像になり、その家紋が菊の紋章とは何故 (@_@;)! ホワイトハウスの庭園に山本五十六や東条英機の銅像を建てるような奇異なことなのに、誰一人として疑問に思わない矛盾の不可思議。 ▲聖武天皇時代の奈良仏教は、自分で出家を宣言する無免許の僧侶“私度僧”が乱立して混乱を極めていたので、正式仏法の受戒制度普及と僧侶に位を与える高僧の伝戒師を本場の唐から招く必要があった。 唐では当時もっとも高僧であった鑑真和尚が懇願されて、中国国内の反対を押し切って何度も日本への渡航を試みたが、5度目に失敗で遭難して失明し、ようやく6度目にして754年日本本土に上陸成功したその港には、いみじくも仏教に次いで、約800年遅れて1549年にユダヤ系エスパニア人のCatholic宣教師Francisco de Xavierも上陸して、初のキリスト教布教活動に入る。 日本が初めて舞台になった『007は二度死ぬ』で、ジェームズ・ボンド(ショーン・コネリー)が女優の浜美枝が演じる海女と一緒に船に乗っているシーンの海も、この美しい坊津(ぼうのつ)湾である。 今日へ導いた仏教高僧とキリスト教が、同じ場所から始まったことを知る人は少ない。 相互啓発・自分磨き全国塾【3%の会】の皆さんで特攻隊の知覧や枕崎に近い坊津を訪れたが、この閑散としてさびれた港町、地元の人影もほとんど目にしなかった。 ▲1543年、中国・明国のジャンク船に同乗して種子島に漂着した船のポルトガル人が、火縄銃二挺の鉄砲を持ち込んだ。 Xavierが、マレーシア半島のマラッカで知り合った日本人アンジロー(ヤジロウ)ら3人に伴われて坊津に到着したのは、鉄砲伝来1543年から6年後の1549年である。 彼らの目的は黄金の国ジパングをポルトガル王やローマ法王の領土植民地にするために来日することだった。XavierはCatholic教会の主・ローマ法王の僧兵の一人で、インドでは法王の代理として全権が与えられていた。 Xavierがインドでやったことは、インドの土民をキリスト教に改宗させるために宗教裁判を行い、改宗を強制し、キリスト教に改宗せず従わない土民は惨殺し、焚刑に処し、富裕者の財産を奪ってキリスト教の僧院や教会を建設した。 キリスト教は「異教は悪魔の教えである」として凄惨な殺し方をするほど神は喜ぶとされた。 当時、欧州、南米、東方でキリスト教によって虐殺されたのは数千万人を超す。 インドでのポルトガル植民地であるゴアは、もちろん牛を神の使いである神聖なものと崇めるhindu教である。 牛肉を食べると地獄に落ちると洗脳されているインド人たちに布教するにあたって、Xavierは策を練った。 その妙案とは・・・美味しいポルトガル料理を作ったからと地元民に食べさせる。 みんなが平らげたのを見届けて、Xavierは言う、「お前らが食べたのは実は牛肉だ!」。 地獄に落ちると青ざめて正気を失った大衆に言う。 「良い方法がある!一緒にイエス・キリストを信仰しよう、そうすれば神は救ってくださる!」  インドで上手く行ったので同じ手法を日本でも使った。 だが仏教では四つ足の殺生を嫌うはずが、それは僧侶たちが主であって、一般の民百姓は鋤(すき)の鉄部分を焚火の上に乗せて鳥獣を焼いて食べていた⇒「スキ焼」となったように、これは実に美味しい!と屈託なく牛肉を食べ出したのだ(@_@;)! 日本の人々はXavierたちを優しく迎えた。 白人のXavierと一緒に来た黒い肌のインド人 Amadorはひどく珍しがられた、とある。 アンジローが切支丹になったことにも驚かず、むしろ敬意を払い、南蛮の珍しい話を聞くために群衆はアンジローの家に押しかけた。 物珍しさもあったのか切支丹になる者も増えていった。 Xavierに強い希望が湧いてきた。 インドにあるポルトガルのアジア拠点ゴアに宛てた手紙の中でXavierは書いている、「私が今まで付き合った人々から判断すると、日本人は今日まで発見された民族の中で最も優秀で、世界中の異教徒の間には日本人に勝る者は発見できない。 彼らは友情に厚く、善良で、何にもまして名誉を尊ぶ」と。 ただ、すべての日本の民衆がXavierを優しく迎えたわけではなかった。

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