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【渡辺勝幸4532号】物の大小ではなく、義の大小

渡辺勝幸の日本一元気になるメールマガジン
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  渡辺勝幸の日本一元気になるメールマガジン   第4532号 令和5年2月10日(金)発行   発行部数 11,480 部 【物の大小ではなく、義の大小】 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【物の大小ではなく、義の大小】 本章は、前章に「その有に非ずして」云云、 自分の所有でないのにそれを取るのは、義でない、 とあるのに関連して、 陳仲子のいうところの義は大義とするに足らず、 ただ「箪食豆羹を舎つるの義」、 少しばかりの食物を、義に合わぬからといって捨てるような、 小廉小義に過ぎない、ということを述べたものです。 陳仲子については、滕文公下篇末章に詳しくあります。 彼が、兄を避け母を離れ、 君の俸禄を受けなかったのは、 すなわち本章にいう「親戚・君臣・上下の人倫を無視した」ことであって、 すでに人倫を否定した人間ですから、 いくら小義を守ったからといって、 とても問題とするに足るものがないのです。 今、斉は大国のように見えますが、 結局は、箪食豆羹、 つまりわずかの食物と変わりがありません。 孟子がここで問題としているところは、 物の大小ではなく、義の大小であることは、 以上によって理解されるでしょう。 いったい、聖人とは、人倫の極致にある人のことであり、 そして聖人の道は人倫を守ることをその根本としています。 ですから、辞するか受けるかという際にそのどちらを択ぶかという問題は、 単にその一細目にすぎないのであって、 伯夷・叔齊は周の粟を受けずして首陽山に餓死することによって 君臣の義を具現したのであり、

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  • 【仙台発!】政治家であり起業家である渡辺勝幸の日刊メルマガ。9年以上、3,500日以上連続でメルマガを書いています。政治経済の裏事情、起業家、経営者向けのおトク最新情報を、独自の視点と素早く貴重な情報で、意識の高い経営者、ビジネスパーソンに毎日お届け。1通20円ですが、得られる情報はメディアにないものとなります。失業、起業、震災、選挙落選、そして当選とここ数年波乱万丈な人生を送っている筆者が、東北の真の復興のための活動報告も。著者は宮城県議会議員(仙台市若林区)44歳。起業集団株式会社つくる仙台経営(起業支援、創業スクール事業)、東北大学大学院講師。
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