「128号」
小西昭生のアクエリアスの時代を「明るく軽やかに生きる法」
~神の手ほどき~
2023年3月2日号
第128号:「刈り込みを理解する」
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目次
【まえがき】このメルマガについて
1.刈り込みとは何か
2.神我と自我は対立しない
3.現代の「刈り込み」とは
4.まとめ
【あとがき】
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《今回のフォーカス》
年明けから早くも約60日、三月ひな祭りを明日に控え、世の中の集団意識は、春一色に染まっています。
そのような外側の世界はさておき、内面に真実の光を当ててまいりましょう。
今回のテーマは、「刈り込むことを理解する」です。
イエス・キリストが、当時の弟子たちに教えたのは、悟りの奥義です。
当時は、科学的な知見の比喩が使えない状況でしたので、人々の理解しやすい例え話を利用するほかに道がありませんでした。
その一例が、「ブドウの枝を刈り込む」一節にあります。
詳しくは、本文に譲りますが、良いブドウの実を多く収穫するには、ブドウの枝を刈り込まなければならないことを、例話にして教えたのです。
その意味するところは、「自我という枝を刈り込めば、神我という実りが得られる」という教えでした。
農業主体の社会では、このような教えが分かりやすいということで、聖書に収録されたのです。
翻って、現代社会にふさわしい例え話は、どのようなことであるか、改めてお示ししたいと思います。
皆様のご理解の一助になれば、幸いです。
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