差別発言で首相秘書官が更迭された。
これに対して、オフレコ破りということでの批判がある。
ただ、私は一定の公的立場のある人が、記者に対する発言でオフレコなどということがあり得るのかとは思う。
確かに、ある程度、社会的地位のある人が、親友に悩み事とかの形で、今の政権に対する不満とか、岸田首相がふだんしゃべっていることを愚痴ったりするのを、その親友がマスコミにばらすとかいうのであれば、確かにプライバシーの侵害という考えもあるかもしれない。その一方で、会社の秘密や、政治の秘密を、いくら私人としてでも、うっかりもらすのは守秘義務違反という考えもあるだろう。
しかし、相手がマスコミの人間だとわかっていて、政権の中枢にいる人間が、内緒にしてねといって大事な話をしておいて、書かれて怒るというのはどうかと思う。
そもそも何のためにオフレコ取材をやるのかわからない。
親しい記者を喜ばせるために、政権の本音を教えてあげるのか?
あるいは、彼らの反応をみて、政権の公式見解を修正するためなのか?
それとも、政治部の記者を飼いならすためなのか?つまり、政権の悪口を書くとオフレコ取材の仲間に入れてもらえなくなるから、つい政権よりの記事を書いてしまう心理を利用しているのか?
いずれにせよ、健全なあり方ではない気がする。
少なくともオフレコということで差別的発言が許されるとは思えない。
もう一つ、この事件で痛感したのは、世の中には、許されるというかスルーされる差別と、そうでない差別がありそうだということだ。
LGBT問題は、もちろん国際的に非難が集まるから許されない差別の扱いを受ける。
さらにことを複雑にしているのは、とくにアメリカではセレブリティの人のかなりの部分がLGBTだといわれる。
彼らに嫌われることは、日本の政界にとっては大ダメージだ。
だから、それは許されない差別だ。
同様に人種差別もアメリカに嫌われるからまずい差別ということになる。とくにユダヤ人に差別的な発言をするのは許されない。
しかし、たとえばイスラム過激派がなにかやらかしたときに、イスラム教徒までいっしょくたに差別的に扱われることがあるが、アメリカでも似たような反応なので許される。
本当の弱者は、とくに、日本では差別していい存在なのだ。
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